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恩田陸のファンタジー論 [日々のキルト]

今度の読書会のテキスト、恩田陸の「夜のピクニック」を読み続ける一日。
朝の8時から翌朝の8時まで全校生徒で過酷な一昼夜を歩き通す歩行祭という行事を舞台に
思春期の若者たちの微妙な心理が語られていて結構引き込まれて読む。たいしたドラマがお
きるわけでもないのにこの淡々と続くモノローグ的な長丁場を飽きさせず読ませる筆力に感心
しつつ、立秋の日の相変わらずの暑さをしのぐ。

かつて恩田陸は「ファンタジーの正体」という一文で、以下のように書いている。
「ファンタジーというのは、戦争の話である。…もっと正確にいえば「秩序を取り戻す
話」とでも言い換えるべきだろうか。」「そもそも、戦争というのは、世界の中での均衡
が失われ、バランスの歪みに耐え切れなくなった時に起こるものだ。そして、戦後処
理とは新たな秩序の始まりを意味する。日々のニュースを見ても、今まさに、人工的
かつ欺瞞に満ちた秩序を作るために、かの国で終戦工作が行われているではないか。」
「かつてトールキンの「指輪物語」が書かれたのは第二次世界大戦の暗い世相下で、それが
アメリカ学生のバイブルとなったのはベトナム戦争の70年代。…そう考えると、この戦乱に
溢れた世界でファンタジーが流行ることの皮肉を思わざるを得ない。」「世界は秩序を、賢者
を、失われた倫理を取り戻すことを切に求めている。魔法の杖の一振りで、失われたものを
取り返すことを願っているのだ。それは逆に言うと、いかに世界が多くのものを失い,この世
に魔法も奇跡もないことを実感しているかということの裏返しだ。世界はヒーローを求めている。
秩序を回復してくれる聖なる存在を,だれもが血眼で捜しているのだ。「聖」や「神」という言葉
がこれほど安売りされている時代もない。」…しかし「ファンタジーの主人公たちの最後はいつも
虚しい。成功の後には、長い虚無の時間しか残されていないのだから。」「ラストで突然50年
後くらいに話が飛んで、数々の業績を成し遂げた老齢のハリーが、ロッキング・チェアかなんか
に揺られて、あの親戚の家の、階段の下の部屋を懐かしく思ったりしていなければいいのだが−
まさかね。」

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