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「チパサ(ティパサ)での結婚」 アルベール・カミュ [日々のキルト]

フランスでテロがあり、2人のアルジェリア系テロリストの名が挙げられている。
アルベール・カミュはアルジェリアで生まれ育った、フランス人作家であるが、父はフランス、母はスペイン出身である。(カミュの時代は、アルジェリアはフランスの植民地であった。)カミュは生まれ故郷のアルジェリアの海と太陽を生涯熱烈に愛し、アルジェリアの人々に共感していた。カミュは海と、この大地に、OUI !を叫んだ人だった。パリという都会の空気は彼の肌には合わなかったらしい。
彼は国境をこえ、風土性によって結ばれる《地中海文化》を提唱した。それは彼の思想だった。

彼は当時、アルジェリアがフランスから独立分離することなく、フランスの内部に踏みとどまり、国を超えた新しい文化圏が生み出されることを願っていた。この、国境を超えた風土によってつながり、共生していこうという彼の夢は残念ながら現実化しなかった。そして、今に至るこの時代状況をカミュが生きて見ていたら…どういう発言をするだろうか…と思うのだ。


         ”””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””

『チパサ(ティパサ)での結婚』、はカミュの本質である詩人的な感性に溢れるエッセイだ。読むたびに魅惑され、わくわくする。

チパサはアルジェの西方70キロにある古代ローマの遺跡であり、カミュがこよなく愛した場所であり、生涯に何回もこの地を訪れていた場所であった。

ここでカミュが関心を示すのは、”栄華を極めたローマ帝国でなく、古代の建造物を石へと帰す自然の力”であり、”若き日のカミュにとって、ティパサは、一つの人種あるいは民族と共有しうる地中海文化を宣揚するための特権的トポス”である。

カミュの「手帖」には、ティパサの名は1952年以降も5回現れ、42歳の時、彼は”自分が「そこで生きまたは死ぬことを望んだ場所」の筆頭にこの地を挙げている”。

”1939年、カミュは「アルジェ・レピュブリカン」紙の記者として、カビリア地方における住民たちの悲惨な状況を伝える報道記事を書き、植民政策の不正を告発した。…また1956年、彼はアルジェで「市民休戦」を呼びかけた。アルジェリアの悲劇を彼は身を以て理解していた。しかしながら、それにもかかわらず、いやむしろそれゆえにこそ、彼は青春のシンボルであるティパサを、歴史の動乱をこえた位置に置くことを願ったのである。”

テロ…アルジェリア、そしてチパサ。一人の人間が、歴史を如何に生きたか、個の資質と時代との
避けられない葛藤。そしてその間隙に生み落された「チパサでの結婚」のあまりにもかぐわしい夢
の匂い。

(” ”の部分は三野博司氏の文からの引用)



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カミュとの再会 [日々のキルト]

隔月のたこぶね読書会で、今年はカミュの『異邦人』と『ペスト』に再会した。カミュを読んだのは何十年も昔の学生時代だった。自分も年を重ね、時代も変わって、同じ作家の作品を読むことの面白さを知った。そのことを書いてみたいと思ったが、初めにとても新鮮に読み直した彼の『結婚』の一部を引用したくなる。この”結婚”は生命と大地との、生命とこの地上との結婚を意味している。以下は「チパサでの結婚」からの気ままな引用です。

                    チパサでの結婚    訳・高畠正明

春になると、チパサには神々が住み、そして神々は,陽光やアブサントの匂いのなかで語っている。
海は銀の鎧を着、空はどぎついほど青く、廃墟は花におおわれ、光は積み重なった石のなかで煮えたぎる。ある時刻になると、野原は陽の光で黒ずむ。目は、睫毛の先でふるえる光と色彩の雫のほかに、何かをとらえようとするが無駄なのだ。まろやかな香りを放つ草花のおびただしい匂いが喉を刺激し、巨大な熱気のなかで息づまるようだ。遠景に、シュヌーアの黒々とした影の広がりを、ぼくは辛うじて望むことができる。それは村を囲む丘陵に根を下ろし、確実な、圧するようなリズムで揺れ動き、海のなかにまさにかがみこまんばかりだ。……

港の左手では、乾いた石の階段が,乳香やエニシダに包まれた廃墟に通じている。その道は小さな燈台の前を通り、やがて野原のまっただなかに沈んでゆく。……

少し歩くとアブサントがぼくらの喉をとらえる。その灰色の毛は見渡すかぎり廃墟をおおっている。そのエキスが熱気で醗酵し、大地から太陽に,あたり一面、強いアルコールが立ちのぼる。そしてそれが大空をゆらめかす。ぼくらは恋と欲情との邂逅を求めて歩いてゆく。ぼくらは教訓も、偉大さに人が求める苦い哲学も、求めはしない。太陽と接吻と野生の香りのほかには、一切がぼくらには空しく思える。……ここではぼくは、秩序や節度は他の人々にまかせておこう。ぼくの全身を奪い去るのは、自然と海のあの偉大な放縦だ。この廃墟と春との結婚で、廃墟はふたたび石と化し、人間の手が加えた光沢を失って自然に還ってしまった。……

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セゾン現代美術館(辻井喬 オマージュ展) [日々のキルト]

11月24日、軽井沢のセゾン現代美術館を訪れ、《堤清二/辻井喬 オマージュ展》を見た。
その日が会期の最後の日だった。

美術館は葉を落した木立に囲まれ、会場はゆったりした清楚な雰囲気で、シーズンオフ
の避暑地らしく、客も少なかったが、その分ゆっくりとマイペースで豊かな空間を味わうことが
できた。クレー、ミロ、エルンスト、マン・レイなどにはじまり、イヴ・クライン、マーク・ロコス、
サム・フランシスなどの現代美術を経て、荒川修作、中西夏之、宇佐美圭司、加納光於
などの日本の画家の大作も数多く見られた。

しかし私がもっとも心奪われたのは、辻井氏の自筆原稿や、数えきれないほどの著作物
(詩集や文学作品などを中心とする)、そして南麻布の書斎を復元したという空間におか
れた彼のデスクであった。愛用されたと思われるそのデスクには、いくつかの傷跡なども
見てとれ、創作に費やされた詩人の孤独な時間とその営為が語られていた。
「二つの行為(経営と詩を作ること)は本来矛盾するべきものではなく、それが矛盾して
感じられるところに、時代の様相がある」という彼の言葉が引用されている。
そうなのだろうか?
一人の人間が自己の運命を生き切ること、そして表現し続けることとは?
深い感慨を与えられた一日だった。

                ※               

翌日は冷たい雨だった。濡れていくホテルの中庭の木立を見ながら、一つの星がふいに
消え去った後の空白感に包まれた。



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堀辰雄展 [日々のキルト]

昨日、堀辰雄展を見に、鎌倉文学館を訪ねた。没後60年を迎えたとのこと。
彼は昭和13年に鎌倉で結核療養し、翌年から一年ほど、鎌倉の小町で新婚生活を送り、
完成まで7年かけた「菜穂子」の構想も鎌倉の地で立てたという。

私もこのところ少し遠ざかっていたが、若いころは堀辰雄が好きでよく読んでいた。
肌に信州の風を感じるような、日本的湿潤さのない、澄んだ文体のもたらす雰囲気に惹かれていた。死の影が感じられるような、薄明の暗さを持つ「風立ちぬ」「菜穂子」なども好きだったが、
むしろ大和路の散策から生まれた「浄瑠璃寺の春」、それから最後の作品「雪の上の足跡」が
永く心に残っている。

特に馬酔木の花に出会うシーンは一読後、強く心に刻まれてしまい、何十年経った今も、
”馬酔木”の花を見たり、思い出したりすると、堀辰雄のこの文章を思い出すのは不思議だ。
春、”浄瑠璃寺の小さな門のかたわらに、ちょうど今を盛りと咲いていた一本の馬酔木”…。
馬酔木には、”あしび、と振り仮名がついていて、それまで私は”あせび”と呼んでいたので、
いっそう印象に残ったのかもしれない。
つづけて彼は、その門の奥に”この世ならぬ美しい色をした鳥の翼のようなもの”が目に入り、
足を止めると、それが浄瑠璃寺の塔の錆びついた九輪だった、と書いている。
かつて一人で訪れた九体寺への旅を思い出しながら、今度は馬酔木の咲くころにここを
訪れてみたいと、思った。

展覧会には神西清との文通はがきや、芥川龍之介や小林秀雄の原稿など、丁寧に展示されていて、あまり客のいない会場を出てから、「大和路・信濃路」「菜穂子」を売店で買って、庭の薔薇園
を見に行った。夏の名残の薔薇という感じが、展覧会の雰囲気とも合っていた。
紺碧の海を望み、庭園には椎の実(ブナの実?)が一面に散らばっていて、その2粒をお土産に
ポケットに入れて帰ってきた。

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エミリ・ディキンスン [日々のキルト]

久し振りに、たこぶね読書会主催で、中上哲夫さんの詩のお話を聞く会があった。
今回はエミリ・ディキンスンの詩についてだった。遠くから初めて来てくださった方
も何人かあって、自由な雰囲気で話を交わすこともできて、愉しい会になった。
原詩に触れながらの解説だったので、ディキンスンの詩のおもしろさが深まった
気がする。彼女の詩は死後急速にアメリカ詩の重要な位置を占めていくことにな
るが生きている間は詩人としては不遇だったと思う。

ディキンスンの好きな詩を2篇載せてみたい。彼女の自然をうたう詩がとても好きだ。
(前にも引用したことがあるかもしれません。)



              草原をつくるには クローバーと蜜蜂がいる

              クローバーが一つ 蜜蜂が一匹

              そして夢もいるー

              もし蜜蜂がいないなら

              夢だけでもいい


          ””””””””””””””””””””””””””””””””””


              私は荒野を見たことがない

              海を見たこともない

              だがヒースがどんなに茂り

              波がどんなものかも知っている



              私は神様と話したことがない

              天国に行ったこともない

              だが私にはきっとその場所がわかる

              まるで切符をもらったように 


          ”””””””””””””””””””””””””””””””””””””””


以上は、『エミリ・ディキンスン詩集』(自然と愛と孤独と)中島 完訳 からの引用です。   

               

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貴婦人と一角獣展 [日々のキルト]

六本木の国立新美術館で、貴婦人と一角獣展を見た。
20年以上前にパリで初めて見たのだが、どうしても、もう一度見たいと思っていた。あのタピスリーの典雅なたたずまいと華やかな色彩(やや色あせた色彩が時の経過を優雅に感じさせ)、見ているだけで異界に引き込まれていくようだった。千花模様といわれる背面にちりばめられた植物や花々、そして多くの小さな動物たちの姿と表情が舞台をひときわ華やかに見せている。貴婦人の衣装や身振りも魅力的だが、一角獣の貴婦人を慕う姿態とまなざしに引き寄せられる。リルケのマルテの手記をもう一度読み返したくなる。

かつてパリを訪れる前に、秋山さと子さんに、それならぜひクリュニー美術館に行くといい…と
助言を受けたことを覚えている。その日右岸のホテルから、ひとりで左岸のクリュニー美術館へ出かけたまではよかったが、すごい方向音痴の私は帰り道に迷って、いつまでも夕暮れの左岸をぐるぐる回って心細い思いをした。

このタピスリーの印象が、どうやらその迷子の印象と一つになって、私のなかに刻まれているらしい。その後もう一度クリュニー美術館へ行っているのに、そのときは人と一緒で安心な旅だったせいか、このときのことより、その前の心細い左岸トリップの方が、忘れがたい。そして記憶も深いのだ。
ユニコーンと貴婦人が付き添ってくれていたのかもしれない…。

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サンペデロ [日々のキルト]

昨夜、サンペデロの花が咲いた。去年8月の夜に咲いた、あのサボテンの花。今年はまだ
6月なのに。昨夜7時ころからふくらみはじめ、9時ころにはほとんど満開(直径10センチ
くらい)の大きな花だった。

たった一夜の花なのに、それが雨の降る寒い夜で、不運な花だなあと思った。でも花は咲くときに
は咲く…と淡々と?咲いている。今朝5時ころに起きて急いで見に行ったら、もう知らん顔で
しぼんでいる。ああ、コウモリにでもなって、花弁のなかに忍び込んでみたらすてきだったのに。

でも一輪の花にどきどきするほどの高揚感をもらえるとは!そしてこの花が咲いていた間に見た
ゆうべの夢は不思議な夢だった。魔除けの力があるというサンペデロの花が夢の門口にも立っ
ていてくれたに違いない。

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花の季節 [日々のキルト]

横濱平沼橋のイングリッシュガーデンの薔薇園を初めて見に行った。
写真をたくさん撮ったのだが、実物があまり素晴らしかったのでかえって載せる気にな
らなくて残念。写真の腕がないということだけですが。

視界にひろがる薔薇・薔薇・薔薇のパレードに、まぶしくて少し草臥れる。薔薇は濃密な
人工の花だから野の花のように心を解き放ってはくれない。

梅雨入りが早い今年、それでも我が家のバルコニーには、今、ノカンゾウのオレンジ色
の花が満開。5,60輪咲いている。ノカンゾウは一日だけの花。ワスレグサ(萱草)
というその名のように、あるがままに一日を咲き切って交代していく。

この季節だけのあかるい風景に浸りたくて、リビングの窓を開け放ち風を迎える。
もうじき百合の花が開きそう。
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信州の旅 [日々のキルト]

気が付いたら長いご無沙汰をしていました。
その間に、春が過ぎて、もう夏みたいな季節になりました。

4月上旬に兄が急に他界して、周りの風景が一変したような一か月を過ごしました。

数日前に、兄の愛した信州のホテルを訪ねてみました。白樺の林に囲まれた蓼科高原の
静かなホテルでした。兄が訪れるたびに泊まっていたという部屋に泊まり、遠くに、南アルプ
ス、美ヶ原、そして北アルプスの山なみをはるかに眺めて過ごしました。

死者はもう戻ることはないのですが、その記憶だけはあの林や湖にまた戻ってくるような
気がします。なんだか立原道造の世界みたい!ですけれど。
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ささやかなこと [日々のキルト]

先日土曜美術社から新・現代詩文庫が出版された。
たくさんの方からお手紙をいただいて有り難いことと思っています。

未刊詩篇の項目の冒頭に、「死んだ犬に」という詩を置いた。詩みたいなものを意識して
書き始めたのは、どうもこの詩あたりがきっかけだったような気がする。(日記みたいな
詩はずっと書いていたけれど)。この詩はナイーブな詩で恥ずかしいが、死んだペルに敬意
を表してどうしても入れたかった。

ペル(迷い犬の野良)は真っ白い犬だと思ったが、洗ってみたら、横っ腹に薄いベージュ色
の斑点が一つ浮き上がってきたので、はじめは真珠を意味する《ペルル》にしようかと思っ
ていたが,一字減らして「ペル」にした。

その頃家は埼玉県の新開地だったので、家の前は麦畑やイモ畑が広がっていた。夜だけ
放してやった時、ペルは嬉しそうに駆けまわり、畑に撒かれた農薬団子にでもあたったのか、
夜明けに犬小屋の前に横たわってひっそり死んでいた。悲しくて、押し入れに隠れて泣いた。
ちょうど月遅れのお盆の日だった。太陽がぎらぎらする真夏だった。

ちょうどペルが苦しんでいた夜明け前、私は夢の中に立って、色とりどりの松葉ボタンの花々を
見ていた。なぜか忘れられない。もう何十年も前のことだけれど。
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