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無限軌道 飯島正治 [詩作品]

『薇』4号を送っていただいた。飯島正治氏の追悼号だった。その中から「無限軌道」を載せたい。


    無限軌道                                                                           

      
黄ばんだ畳の野原を息子の鉄道模型の

ちいさな列車が駆けている

畳に耳をつけ眼を閉じると

レールを刻む車輪の音が大きくなる



縁の川にかかる積み木の橋を渡って

列車は過去の坂を下ってゆく

すると汽笛が聞こえ

ぶどう色の客車を引いた蒸気機関車が

扇状地のりんご畑の間を

ゆっくり上がってくるのだ



枝々のりんご袋を一斉にゆすって

列車が通り過ぎる

煙のなか車窓の一つひとつに

顔が浮かんでいる

おぼろげな父親の顔や軍帽の叔父

おかっぱの少女も見える

帰ってこなかった者たちだ



彼らを乗せたまま

列車は無限軌道を走り続けている

眼をあけると

ヘッドライトをまたたかせ

あえぎながら未来の橋を渡ろうとしている


””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””

はるばるとした永劫の時間と今のこの瞬間が、一つになって見えてくる。
こんなにもありありと見える遠景。遠ざかる列車の車輪の音と、汽笛まで聞こえる。
無限につづく人々の記憶のつながり。ふいに懐かしさがよみがえる。
たとえ会ったことのない人々も私の記憶の中にいるのだと思う。
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三崎口行き(北島理恵子) [詩作品]

北島理恵子詩集『三崎口行き』から紹介したいと思います。
巻頭の詩と、もう一篇です。

     遠景
                                       
                                北島理恵子

     わたしたちは

     生まれる前の、海の水面のきらめきの話をする

     幼い頃布団の中で見た、怖い夢の話をする

     いまここにある

     かなしみは話さない



     廃墟

この街は とうに

消えてなくなっているはずだった
   


そうした ある日

地下鉄を降り

Aの出口を上がって

砂塵が舞う

乾燥した通りに目をこらすと

あの店の二階の

窓際の席が見えたのだった



狭い 階段だった所をのぼり

いつも座っていた椅子に腰掛ける



「火鍋はじめました」

と書かれた紙が

以前と同じ位置に貼られてあった

触るとそれは

ぼろぼろ 崩れ

目の中に降ってきて

溶けて ようやく終わった



当時 すこし派手めだった飾りが

かすかに赤い

ハエ取り紙のようになって揺れている



ここにはもう

中国なまりのカタコトの店員はいない



何時まで待っても

やあ と言って

向かいに座る人もいない



わたしという

客の形をしたものが いるのみである


”””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””

ひとりずつが、生きている時間のもつ、内面的な多層性。私たちは、詩という形で、
あるいは夢という形で、または追憶という形で、病という形で、そんな時間の一端
に触れることができる。その時間への感触を与えてくれるような、繊細な想像力を
感じさせる詩集だ。ほかにもいろいろあったが、短めのしかここに入れられず残念。
出版は「Junction Harvest」。これは.第一詩集とのことです。
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蚊おとこのはなし [詩作品]

夕顔が咲きはじめた。まだ一輪、二輪ずつだけど。夕顔も(西)の領域に属する花だなあと思う。なぜか西には気持ちが向かう。詩集『ユニコーンの夜に』で、西のうわさ、という作品を二篇書いていて、これは西に棲む女家主を書いたものだった。この「西のうわさ」シリーズにはまだ続きがある。ここに載せるのは2005年に『幇』8号に発表したもの。

    蚊おとこのはなし

                          水野るり子
 
夏おそく
蚊おとこたちが
西の方から訪ねてくる
ひとり ふたりと
わらじを脱いで上がりこみ
縞の烏帽子も脱ぎ捨てて
ねむたいわたしの耳のそばで
わやわやと
女家主のうわさをはじめる
(ああ 耳がかゆい)


蚊おとこたち…
西の夕やみにすむ
女家主の一族郎党か
(彼らは本来饒舌なのだ)
その豆粒ほどの脳髄を
芯までトウガラシ色に染め
ほんのひと夏の
はかない身の丈で
せいいっぱい勝負するかれら
ちっちゃな血のしずくから
生まれてきた連中だ


「女家主はカワウソだ
川で星の数ほど魚を食う」
「いや女家主は巨人なのだ
異形のものを生み拡げる」
「いや女家主は羊歯の一味だ
やくたいもない菌糸をのばす」

(だがいつだれがそういった?)
(だがいつどこでそれを見た?)


蚊おとこたちは口々に
女あるじのうわさをするが
その正体をまるごと見たものはいない


焦げくさい西の空から
巨大なヒキガエルにも似た女家主の
おおいびきがとどろいてくると
蚊おとこたちの宴は 雲散霧消…


雷雨が夢のなかまでびしょぬれにして
東の方へ駆け抜けていく
ねむたいわたしの耳に
蚊おとこたちの薄いわらじの跡だけつけて
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「牛」 吉井 淑 [詩作品]

 詩集『ユニコーンの夜に』を巡って、詩友の方々からさまざまな言葉の贈り物をいただく機会がここ二度ほど、連続してあって、爽やかな緊張感と喜びの日々だった。もちろん今後に向けていろんな形での刺激をもいただいた。これはめったにないことでもあるので、今週は少し孤独にその余韻を味わいながら、同時にこの夏の暑さにも驚いていた。
 
今日は詩を一つ。

                 牛      吉井 淑        


         曲がりかどで牛に出会う

         板塀から染み出たように立っている

           かわたれどきの空き地でも

         ひっそりと

         黒牛のかたちに闇が濃くなっている




         川のほとりに住んでいたころ

         土手の斜面を上がると牛がいて

         空いっぱいに腹が広がっていた

         たくさんの虻が飛び交って

         ぬうっと振り向いた瞳はよく光るのに

         なにも見ていないのだった


    

         草を食むためにだけ一歩二歩進む

         耕さない牛が

         どこをどう歩いてきたのか

         ずっと私の側にいる

         虻を払うように

         ときどき尻尾で叩きながら


         


         街頭の下に大きな影を倒している

         毛深い腹に潜り込むと

         みわたすかぎりの星空

         土手の空

         そこから森への小道

         はぐれていく
         
         ぴしりぴしり

         尻尾の音   
 

   ”””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””
このところ原発問題とからんで牛または牛肉問題で大騒ぎになっている。騒いでいるのは我々人間、そして牛たちは寡黙である。もくもくと藁をはむだけの彼らのすがた。(板塀から染み出たように立っている…)(ひっそりと黒牛のかたちに闇が濃くなって)くる、その影は隠喩に満ちている。ここにあらわれる牛は、存在自体の影のようだ。それはみわたすかぎりの星空や、森への小道につながっているのだから。
この詩は吉井 淑さんの詩集『三丁目三番地』から引用させていただいた。好きな詩なので、もし以前にも取り上げさせていただいていたらすみません。
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続き(2) [詩作品]

最後に受賞の日のパンフレットに紹介された自分の作品も載せます。『ユニコーンの夜に』からです。
   
          なぜ

      小さな言葉のはしきれが
      どこかに
      こぼれ落ちているが
      その場所が見あたらない
      夜明け前の暗さのなか
      出来事だけが   
      ゆめのなかでのように
      通り過ぎる
       …さっき傘をさして
       黄色い花の森をさまよっていた
       あのうしろすがたはだれ…
      読み残したものがたりが
      どこかでまだ続いているらしい
      枕もとで
      羊歯色の表紙が
      夜ごとめくられていくのも
      そのせいだ
      電車の棚に置き忘れられた
      赤い傘の上に
      雨が降りしきるのも
      そのせいだ
       …いつだったか
       あの傘を
       太陽のように
       くるくる回していたのはだれ…
      もうひらかれることのない
      傘の骨が
      網棚できしんでいる


      遠ざかるプラットホームで
      くろい犬が鼻をあげ
      どこまでも…わたしを
      追ってくる日々 


”””””””””””””””””””””””””””””””””

以上で小野市詩歌文学賞受賞報告を終えます。

詩とは何か、と考えてもなかなか答えは出てくれません。受賞の際にいただいた辻井喬氏のこの詩集への講評に「人生への開き直り」ということばがあって、その意味を今後への一つの問いとして受け止めています。

 そんなことを想いながら昨日横浜美術館で、長谷川潔展を見ました。現実の土壌に根を下ろしながら、完璧な異世界にそれを移植し、深い宇宙性をもつ作品へとそれを昇華した長谷川潔の仕事。特に風に種子を飛ばす雑草たちの毅然とした美しさがいつまでも消えません。
  
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       すべての芸術家は、多かれ少なかれ「神秘」を表そうとするものだ。               ただ、ありきたりの手段によってではなくそれを表そうとする。現
       代の画家の中には、対象をぼんやりと眺め、それをデフォルメさせ
       るにとどまる人が多い。しかし私は、一木一草をできるだけこまか
       く観察し、その感官を測り、その内部に投入する手段をもとめる。
       できるだけ厳しく描いて一木一草の「神」を表したいがゆえに。
       現代は,神性の観念よりはいって絵にいたる。私は,物よりはいっ
       てその神にいたる。

        東洋の思想と西洋の技法の結晶   長谷川 潔より
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名前のない馬 岩木誠一郎 [詩作品]

名前のない馬                 
                           岩木誠一郎


好きな動物は何か という質問に

馬 と答えたときから

すらりと四肢の伸びた生き物が

わたしのなかに棲みついている



電車に乗っているときも

街を歩いているときも

風にたてがみをなびかせながら

遠い物音に耳をすませている



夜が来て

だれかの絵のなかで見た風景が

濃い影をまとって現れると

天に向かっていななくこともある



星空のどこかに

帰る場所があるのだろうか

愁いをおびた眼の奥には

夕陽が燃え残っているのだが





カーテンを開けると

蹄のかたちをした雲がひとつ

ぽっかり浮かんでいることがある


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昨日、根岸森林公園の隣の馬の博物館に立ち寄った。白い馬や栗毛の馬が4頭、馬場を
駆けていた。馬場の隣の厩舎に繋がれているのが一頭だけいて、鼻筋が白く、左の後足の先だけが白い。写真を撮りたくなって声をかけたら、大きな目で、じっと私を見てくれた。岩木さんの詩の通り、やっぱり愁いをおびて、澄んだ眼の色だった。花吹雪のなか、馬のその眼を思い浮かべながら帰ってきた。
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夜のバス 岩木誠一郎 [詩作品]

岩木誠一郎さんから新しい詩集が届いた。岩木さんの詩のなかに流れている時間の質が好きで、またそこへ戻っては、自分の日常を味わいなおすように何回も読み返してしまう。そしてそのたびにかけがえのない時間の一回性に気がつく。
           

    夜のバス      
                          岩木誠一郎

深夜の台所で水を飲みながら

通り過ぎてしまった土地の名ばかり

つぎつぎ思い出してしまうのは

喉の奥に流れこむ冷たさで

消えてゆく夢の微熱まで

もう一度帰ろうとしているからなのか

こわれやすいものたちを

胸のあたりにかかえて

卵のように眠る準備は

すでにはじまっているのだが

冷蔵庫を開けたとき

やわらかな光に包まれたことも

水道管をつたって

だれかの話し声が聞こえたことも

語られることのない記憶として

刻まれる場所に

ひっそりと一台のバスが停まり

乗るひとも降りるひともないまま

窓という窓を濡らしている
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冷凍魚 水野るり子 [詩作品]

    冷凍魚


魚は一匹ずつで悲しんでいる


早春の塩の浜辺にひきあげられ

塔のように倒される海の魚


しなやかなその喉のところまで

行き場のない海があふれてきて

やがてそのまま凍りついていく長い時間


かつて魚を許してくれた

あの水の限りないやさしさが

いまは不思議な残酷さとなって

魚の全身を

容赦なくしめつけてくる


そうして

魚はあえぎながら

少しずつ

内側から啞になっていく


 
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象その他   水野るり子 [詩作品]

ずいぶん長い間お休みしていました。その間いろいろなことが起こり、落ち着きなく過ごしてきました。いま自分のために、以前書いた私の内の原イメージみたいな作品をいくつか写してみたくなりました。それは今というこの時代の曲がり角を感じ、でも何もできない自分の気持ちを反すうするために…かもしれません。


           


一日中

雪は降りやまず

時計は故障していた


世界は沈黙し

人類がたどりつく以前の

ひとつの星のままだった


見えない空の底では

かすかに鐘の音が鳴り響いていて

    
      ※

その夜

雪明かりの窓からわたしは見た

巨人がひとり

暗い坂道を下りていくのを


風が中空に

その髪を吹きあげ

肩にのせた深い壺のなかへ

なおも雪は降りつづけていた

                  詩集『クジラの耳かき』より



         象


その象は三本足である

たるんだしわの重みを引き上げ

ゴミ捨て場の夕闇のなかにかくれている

腐敗することのない不消化物の山が

焦げ臭いにおいを立て

重い廃油となって空を侵している

ブルドーザーもひびかず

火も種子ももえないこの場所にむかって

どこからか象は裏切られてきたのだ


あまりに場違いなこの成り行きは

象を途方に暮れさせる

夜のゴミ捨て場をきしらせて餌をあさり

ドラム缶の足音を

町の眠りの裏側にとどろかせる

うっかり追い抜いて来てしまった

自分のもう一本の足に毒づいてもみる

草食性の身の上をかくし 人目をさけて

町の上空を飛ぶ 排泄物に汚れた鳥を

鼻高々としめ上げてもみる

だが奇形の象のかなしさは

日ごとに錆びついていく町の空に

錨のように重くひっかかったきりだ


スクラップ広場に漂着する

町という町の悪夢は

ついに回収されることができない

その黄色いガスの底をさまよう

一匹の象の姿を見たものはいないか

もう人間の領分ではない

荒涼としたあの象の場所を見たものはいないか

                         詩集『動物図鑑』より


            
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原利代子詩集 「ラッキーガール」より [詩作品]

    カステラ                                            
                      原利代子

ポルトガルへ一緒に行ってくれないかってその人は言った
なぜポルトガルなのって聞いたら
カステラのふる里だからって言うの
お酒のみのくせにカステラなんてと言うと
君だってカステラが好きなんだろって
でもあたしはお酒ばかり飲んでる人とは
どこへも行かないわって言ったら
「そうか」って笑ってた


あたしはカステラが大好きだから
今度生まれ変わったら丸山の遊女になるの
出島でカピタンに愛されてエキゾチックな夜を過ごすわ
ギヤマンの盃に赤いお酒を注いで飲むの
ナイフとフォークでお肉も食べるわ
大好きなカステラもどっさりね
そして食後にはコッヒーを飲むの
「それもいいね」ってその人は笑っていた
いつもそう言うのよ


元気なうちに一緒に行ってあげればよかったのかしら ポルトガル?
病院で上を向いたまま寝ているその人を見てそう思ったの
きれいな白髪が光っていて
あたしは思わず手を差し伸べ 撫でてあげた
気持ちよさそうに目を瞑ったままその人は言った
「いつかポルトガルに行ったら ロカ岬の石を拾ってきておくれ」
やっぱりそこに行きたかったんだ
ーここに地尽き 海始まるー
と カモンエスのうたったロカ岬に立ちたかったんだ
カステラなんて言って あたしの気を引いたりしてー
それより早く元気になって一緒に行きましょうって言ったら
「それがいいね」
って またいつものように笑った


あなたの骨が山のお墓に入るとき
約束どおり お骨の一番上にロカ岬の白い石を置いてあげた
あなたの白髪のように光っていたわ
ポルトガルへ一緒に行ってくれないかって
声が聞こえたような気がして
今度はあたしが
「それはすてきね」って
あなたのように ほんのり笑いながら言ったのよ


””””””””””””””””””””””””””””””””””””

 原利代子さんの『ラッキーガール』は最近の詩集のなかでもとりわけユニークですてきな詩集だった。読み返すたびに、それぞれの詩から、異なるさまざまの活力をもらえる。作品ではあるけれど、どの連にも、どの行にも、詩人のなまの声が、リズミカルな呼吸で、展開されていて、詩集を開くことは、その人との対での会話みたいな気がする。
 好きな詩がいろいろあるが「カステラ」は、このような追悼詩が書けたらいいなあと思う作品だ。人とのかかわりの底にある深さや痛みが、野暮でなく、斜めに、しみじみと描かれていて、その表現の切り取り方に感心するばかりだ。
 たとえ追悼の場ではなくても、このような表現のできる人は、人生のあらゆるシーンにおいて、他者と自らの距離のバランスに敏感で、人も傷つけたくないが、自分に対してもかっこよく生きざるを得ないかもしれないとふと思う。
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