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続き(2) [詩作品]

最後に受賞の日のパンフレットに紹介された自分の作品も載せます。『ユニコーンの夜に』からです。
   
          なぜ

      小さな言葉のはしきれが
      どこかに
      こぼれ落ちているが
      その場所が見あたらない
      夜明け前の暗さのなか
      出来事だけが   
      ゆめのなかでのように
      通り過ぎる
       …さっき傘をさして
       黄色い花の森をさまよっていた
       あのうしろすがたはだれ…
      読み残したものがたりが
      どこかでまだ続いているらしい
      枕もとで
      羊歯色の表紙が
      夜ごとめくられていくのも
      そのせいだ
      電車の棚に置き忘れられた
      赤い傘の上に
      雨が降りしきるのも
      そのせいだ
       …いつだったか
       あの傘を
       太陽のように
       くるくる回していたのはだれ…
      もうひらかれることのない
      傘の骨が
      網棚できしんでいる


      遠ざかるプラットホームで
      くろい犬が鼻をあげ
      どこまでも…わたしを
      追ってくる日々 


”””””””””””””””””””””””””””””””””

以上で小野市詩歌文学賞受賞報告を終えます。

詩とは何か、と考えてもなかなか答えは出てくれません。受賞の際にいただいた辻井喬氏のこの詩集への講評に「人生への開き直り」ということばがあって、その意味を今後への一つの問いとして受け止めています。

 そんなことを想いながら昨日横浜美術館で、長谷川潔展を見ました。現実の土壌に根を下ろしながら、完璧な異世界にそれを移植し、深い宇宙性をもつ作品へとそれを昇華した長谷川潔の仕事。特に風に種子を飛ばす雑草たちの毅然とした美しさがいつまでも消えません。
  
””””””””””””””””””””””””””””””””””””

       すべての芸術家は、多かれ少なかれ「神秘」を表そうとするものだ。               ただ、ありきたりの手段によってではなくそれを表そうとする。現
       代の画家の中には、対象をぼんやりと眺め、それをデフォルメさせ
       るにとどまる人が多い。しかし私は、一木一草をできるだけこまか
       く観察し、その感官を測り、その内部に投入する手段をもとめる。
       できるだけ厳しく描いて一木一草の「神」を表したいがゆえに。
       現代は,神性の観念よりはいって絵にいたる。私は,物よりはいっ
       てその神にいたる。

        東洋の思想と西洋の技法の結晶   長谷川 潔より
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