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饗音遊戯6(七月堂刊) [詩作品]

先日久しぶりに明大前の七月堂を訪ね、編集の知念さんと会った。「二兎」3号の依頼のためだった。用件を終えてから、いろんな話をする。大体知念さんが話していて、私は聞いていた気がする。話は主として3,11以後の表現活動や、言葉のことなど。また一昨年他界された木村栄治さんの果敢な生き方のことなど。結構重い内容でもあったが、興味深く刺激的だった。いろんなことを考えさせられたユニークないっときだった。

その際教えられて、購入した「ろうそくの炎がささやく言葉」(菅啓次郎・野崎歓編 勁草書房刊)を読めたこともよかった。それについてはまた紹介したい。

今日は七月堂出版の「饗音遊戯]から展開したSOUND ACID「A small amount of water」について一言。

これは英訳された詩の朗読と演奏のCDで、原作=白鳥信也著『ウォーター、ウォーカー』
作曲・監修=岡島俊治  朗読=Shin(HeavensDust) 英訳=Nozomi 

日本語版の白鳥さんのCD『微水』は以前聞いて、傑作だと思ったが、この英訳のCDはまた別の聴き方ができて、おもしろい!と思った。テキストの英語を見ながら、意味を追いかけることはあきらめて、耳に飛び込んでくる英語の断片を時々とらえながらも、音楽がダイナミックに流れるのに身を任せていると、響いてくる音の世界と、だんだん自分が一体化していくようで、自然体のままの心地よい時間を過ごしていることに気付く。

音楽であるけれど、それだけでなく詩(言葉とイメージ)の生み出した時間そのものだという経験だった。時間のくれるよい贈り物をもらった気がした。この体験は自分の感覚を広げていくだろうという予感がする。ときどき浸りにいきたい個人的な時間になるだろう。個人的な? そう、だれにも説明しないでいい時間かな。

もう一枚川口晴美さんの『GIRL FRIEND』がある。これを開くのはもう少し先にしよう。もう少し今の時間を引き延ばすために?
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ノカンゾウ [日々のキルト]

今日、バルコニーで、待ちに待っていたノカンゾウの花が一輪やっと咲いた。今年の初咲き。18鉢もあるので、これから一か月ほどバルコニーはオレンジ色の饗宴になる。萱草(ワスレグサ)は一日花で、憂きを忘れる花と言われているが、そうなるといいのだけど。でも、ただでも忘れっぽいこの頃の自分。いったいどこまで忘れ果ててしまうのか…気になってくる。

オレンジ色の群落に合うように、昨日街へ出て紫や白や黄色の花々の苗を買ってきて周りにレイアウトした。一つは紫サルビアと書いてあったが、あとは名札がついてないことに、帰宅後気が付いた。近いうちに花屋さんに名前を訊きに行かなければ…。
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シンシアとジョン [日々のキルト]

一昨日、久しぶりにシンシアとジョンに会った シンシアとジョン。二人はこの二月に結婚したとシンシアがいった。なにしろずっと恋人同士で自由に生きてきた二人が、今度やっと決心して14年ぶりに結婚に至ったのだから、日本就職と結婚のおめでとうのダブル乾杯をした。シンシアは日本美術史の准教授として、今度九州大学に赴任し、福岡に定年までいることになった。ジョンは焼き物や浮世絵が専門の人だが、今はもっぱらシンシアの内助の功もやっているようで、食事は彼の担当だし、シンシアの研究のよき理解者だ。

今は九州にいて、ジョンは日本語を勉強し、玄米、野菜、魚を食べ、二人で身軽にあちこち旅をしているらしい。来年はシアトルやブータンへ、再来年にはシチリアへ一緒に行こうと誘われる。知っているアメリカの知人たちはとにかく行動的でよく旅をする。実に気軽に動いている。

シンシアが私の夫(美術史が専門)と仕事の話に熱中している間、ジョンがもっぱらお酒を注いだり、サラダをみんなに取り分けたりしていて、シンシアはいい相棒を見つけたなあ…という感想だ。ジョンはイギリス出身で、穏やかで優しい人。世界のあちこちに故郷があるようなコスモポリタン的存在だ。二人がほんとに大人になって出会い、こんないい生き方を選んだことがすばらしく思える。シンシアはいつも知的好奇心にあふれている人で、会うたびによい刺激をくれる。

その夜のお酒は〆張鶴(シメハリヅル)。これは新潟村上のおいしいお酒です。
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脱け殻売り 柴田千晶 [詩作品]

神奈川新聞の旅人の歌の欄で好きな詩を見つけた。切り抜いてコピーして友達にまで配ってしまった。柴田千晶さんの作品です。


       脱け殻売り


   虹色の蛇の衣…飴色の空蝉…黒いアタッシュ
   
   ケースに脱け殻を詰めて男は旅をしている。

   どの町にも必ず一人、脱け殻売りを待つ人が

   いて、必ずその一人を男は探し当てた。なぜ

   こんな旅を続けているのか、男は時々わから
 
   なくなったが、 蛇の衣に潜り恍惚としている

   百歳の少女や、空蝉の中で灯る百二十歳の少

   年の姿を見て自問することをやめた。万緑の

   中を行く男の体はしだいに透けてゆき、黒い

   アタッシュケースの底にやがて畳まれてゆく。





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 とても不思議で美しく魅力的作品でした。でもそういう感懐よりも、具象としての脱け殻
 や、その内部で灯をともす少年たちの姿態、百歳の少女の見つづける夢の感触が無
 二の詩的魅力です。黒いアタッシュケースの内の闇にはこれからも日々積まれていく
 だろう脱け殻への予感がある。脱け殻と同じ数の夢のこだまがある。

 アタッシュケースの感じさせる重苦しさと、脱け殻の軽くはかないイメージとの違和感。
 ふと賢治の「山男の四月」に出てくる行李を思い出す。
 その行李の中身 の異様さを思い出す。
 またここでは抜け殻でなく、脱け殻と表現されている。 脱けるという表現が脱出を連想
 させるからか。 生きられて、そして消え去っていった時間の行方を思わせるからか…。

 
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エルンスト展 [日々のキルト]

見たい展覧会がいっぱいあるので、最初に近いところで横浜美術館のエルンスト展を見に行った。
まず混んでいないのが嬉しかった。エルンストを見るのは初めてではないが、今回の展覧会は「フィギュアスケープ」(エルンストの作品を構成する二つの要素であるフィギュアとランドスケープをつなげ、後者からランドを差し引いた造語)という概念を軸に展示されているとのこと。彼の絵画の成り立ちを制作の手法とその意味の両面から理解するための指標であるという。

フィギュアとは「像」の意味で、たとえば内なる自我を表す、鳥と人との合成体である「ロプロプ」とかその他いろんなキャラクターをいう。
一方スケープとは風景的要素であり、「森」や地平線をのぞむ空間、海中と天空などの広がりを表すという。

見ていくと、デ・キリコやクレーの画を連想させるものがあって、卵形の顔をもつフィギュアもよく出てくる。彼はデ・キリコの強い影響を受け、その形而上的絵画と出会った後で次のように述べているという。

「私はそのとき、ずっと昔からよく知っている何かを再発見したような感情に襲われた。あたかもすでに見たことのある出来事が、私たちに自分の夢の世界の全領域を開示するようであった」と。
当たり前のことかもしれないが、この言葉の投げかける網にしばらく捉えられていた。

ゆっくり見ないと見落とすものがたくさんありそうで、その日は途中で切り上げたので、もう一度ゆっくり見に行くつもりでいる。彼の描く深い暗い森にまぎれこむと、出入り口の指標は見つからない。が、ちょうど見に行く直前に自分の森の詩を書いていたので、あの「森」の不思議に呼ばれている気がする。彼の駆使したさまざまの技法はそれとして、その絵はこの世ならぬ別世界を示し、しかも手に触れられる物質のようだった。
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花と熊 [日々のキルト]

今年の春はいつまでも寒くて、桜も終わったのに朝夕暖房をつけている始末。こういう年の夏は異常に暑いのかもしれない。
Osada Norikoさんからニューヨークの公園の花の便りが入ったのは、なんだか嬉しい。ニューヨークの公園にはいったい今頃どんな花が咲いているのか…?Osadaさん、今度教えてください。

バルコニーのプランターに、紫、白、黄色の三種類のパンジーを植えたら、どういうわけか、真ん中の紫が、いつのまにか両側の白と黄色に圧倒されて見えなくなり、やっと掘り出して?別の鉢に移植した。そうしたら急に元気になって、今花盛りだ。花にも強い色と弱い色があるのかな。(まさか) 白と黄色のパンジーはいまプランターからこぼれだすほど我が物顔に咲き誇っている。

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 今度、賢治を読む会で、「なめとこ山の熊」の司会をすることになり、先日それもあって、横濱そごうに賢治の展覧会を見に行った。「なめとこ山の熊」の画もあって、親子の熊が月の光の中に立っていて、彼らの背中が物言いたげで、さびしそうに見えた。
 人間の世界では昨日クマ牧場の6頭のクマが射殺された。クマって私たちのコンプレックスを刺激するところがあるのかも…と思えてならない。
 
 以前はよくクマの夢を見た。夢の中でクマはたいてい私を追いかける怖い存在だった。ユングの夢辞典を見ると夢に現れるクマは「原初の本能的な力の出現ともいわれる」とあり、また自分を圧倒する母なるもののイメージともきいたことがある。そういえば母の晩年のころ、私はよくクマの夢を見ていた。そして亡くなってからは見なくなった。

花と熊。あまり縁がないものについて、なぜか思い出すままに書いてしまった。
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Edwin A.Cranston氏(NARA万葉世界賞)受賞 [日々のキルト]

よいニュースが入ってきて嬉しい。
二十年くらい前から私の詩集の訳や評論を「The Secret Island and The Enticing
Flame」(Worlds of Memory, Discovery, and Loss in Japanese Poetry)という本に
まとめてくださったハーバート大学の教授Edwin A・クランストンさんが、このたび
日本文学研究者としての長年の業績(特に万葉集をはじめとする古代日本文学
研究者としての)により第三回NARA万葉世界賞を受賞なさったことです。
もちろん今までにも多くの賞を受けておられますが。

私は何人かの友人たちと二年以上にわたり、その著書を日本語に訳してきたが、
その最終回の仕上げの日が3月19日だった。そして先生の授賞式が3月18日
というのも、不思議な偶然であり、うまくこの下訳が印刷物になるのではという
予感がする。

ちなみにこの本の題の訳は、日本語にすれば、「秘密の島と誘惑する焔」(日本の詩
における記憶と発見と喪失の世界)というようなことだろうか。
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バルコニー [日々のキルト]

いまルーフバルコニーで咲いている花のことを書いておきます。
①ピンクのルピナス
②赤いプリムラ、黄色いプリムラ、白いプリムラ、ピンクのプリムラ、
 紫のプリムラ、朱色のプリムラその他のプリムラ
 これは横長の数個のプランターにいろんな組み合わせで並んでいます。
③紫と白と黄色のパンジー
④河原なでしこ(赤)
⑤赤と、絞りと、ピンクの屋外用シクラメン

⑥ローズマリーのうすむらさきの花(三鉢)
⑦まだ咲いていませんが、5月にいっせいに開く光のようなノカンゾウ
(ワスレグサ)が10数鉢。今は緑の葉がいっぱい。


これらは⑥と⑦以外は園芸店で買ってきたもの。ずいぶんありふれてますね。
私が買ってきたのはルピナスくらいですが。ちゃんと種から蒔いて、丹精して
育てたのならもっと豊かな気分でしょうね。

家の中では白いシクラメンが辛うじて二輪咲き残っているのみです。もちろん
花以外の緑の鉢は、サボテンも含めて林立してますが。

来年もこのマンションに住んでいたら、もう少しましなガーデニングでも
してみたい。

そうそう目の先3メートルほどの柵のところには雲竜柳が数本、今年も
芽を出しかけています。坂多さん(二兎同人)からお花の材料を以前分けていただいて
プランターに挿しておいたら、毎年芽を吹いてきます。

「緑なる柳はついに緑ならざるを得ぬ」…これは有名な言葉らしく、兄の遺された
日記に書かれていたもので、なんとなく覚えています。(間違っているかも…)
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POETRY [日々のキルト]

 久しぶりにマイブログを開けてみたら、今年初めてみたいでびっくり。

今日は気を取り直して、メモ風に…。

 2,3日前に≪Poetry≫という映画を見た。ちらしによれば(これは一人の初老の(66歳)

女性が「詩」にたどり着くまでの、魂の旅路である)とのこと。

監督、脚本は韓国のイ・チャンドン。女主人公ミジャは、孫息子をあずかって、介護の仕事を続けて

いる。生活はとても厳しいものだ。その上、最近物忘れの多い彼女は、医者を訪ねると、アルツハイ

マーの初期ではないかと診断される。けれども彼女には毎日の生活があるし、夢もある。子どもの

頃、彼女は詩人になればよいと言われたことを覚えている。そこである日見かけた町の詩の教室に

通いはじめる。そしていい詩を書こうと懸命の努力を続けるが、一方現実に起こるつらい出来事が彼

女の足を引っ張る。こまかいことは抜きにして、この映画で、監督が詩(言葉)に対して抱く夢、深い

祈りに心を打たれる。監督の手法も詩のように、説明せず、最後まで観客1人ずつの想像力にゆだ

ねる。とても寡黙だ。ミジャが最後に、哀しみや苦しみを通して、ついに書き上げた一篇の詩が画面

を流れるのがすてきだ。

監督は「人生の中に潜んでいる美を追求しようとする態度そのものを”詩”と呼んでいいと私は思って

います」と語っているが、この映画を見たあと、ミジャの詩(言葉)への希求そのものが、現実の時間

の質を結果として変え得ると言いたいのではないか。そこに、詩と出会う以前そのままの過酷な時間

があったとしても。ちょうど真珠貝の痛みのように。



 それにしても日本と韓国の町の情景はよく似ている。カラオケの場面とか、コンビニの風景とか、作

詞教室の女性たちの表情とか。でも全体に元気がいい。適度に通俗性がありおかしくて、笑える場

面がある。
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「届かぬ声」は届く (折口信夫賞) [日々のキルト]

青森の佐藤真里子さんからのメールによれば、以前このブログにも載せさせていただいた

斎藤梢さんの、震災のことをうたわれた短歌集「届かぬ声」が、今回折口信夫賞を

受賞なさったそうです。波乱のうちに右往左往しつつ過ぎていく今年ですが、

「届かぬ声」は確実に、ある人々の胸に届いていたのですね。嬉しいお知らせでした。
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