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サボテンの花 [日々のキルト]

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8月13日の朝に、突然柱サボテンの花が咲いた。買ってから10数年、ただ、どんどん伸びるだけ
の無用の?長物みたいで、ついに天井につかえてしまい、この春からルーフバルコニーに出しっぱなしにしておいた。(富士山と向かい合って)。それがかえってよかったのか、この10日ほど、つぼみみたいなのが7つものびてきて(ゴクリみたい!)どうなったのだろうと思っていたら、昨日の明け方突然に大きな花が一輪開いた。あまりに素晴らしい花なので、これにはびっくり!たくさんの白い花びらのまわりに、えんじ色の花びらの縁取り、花は直径10センチ以上ありそう。

ところが、ところが。2時間もしないうちに、急に花びらが閉じてきて、あっという間にしぼんでしまった。まったく夢まぼろしのごとくなり、という感じ。花の寿命は2時間足らず?

茎は2メートルくらいの高さ。本で見ると《セレウス・バルビアナス》通称サンペデロという南米原産
のサボテンに似ている。7つもつぼみがついたのに咲いたのはこの一輪、あとはみな落下してしまった。その気配もないところに、いきなり咲いて、瞬時に消えてしまう花というのは、なんて強烈なんだろう。ひとみたいに何か言葉をもっているような気がするのです。
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花火 [日々のキルト]

今日は神奈川新聞の花火大会だった。みなとみらいの空に盛大にひらく花火をベランダから
眺めた。花火には人の気持ちをわくわくさせるものがある。が、最後の花火が夜空に消えた瞬間の
寂しさも毎年変わらない。

前にも書いたけれど、ヘッセの『クヌルプ』の言葉がまたよみがえってくる。
(至高の美しさというものは、いつも、人がそれに触れたときに、歓びの感情のほかに、悲哀や
不安の念を抱かせるものだ)という。逆に言えば不安という裏打ちあってこそ、喜びも深く、強い
ということか。喜悦と不安、この二つの感情は引き離すことができない。ヘッセはこの美の
象徴として《花火》と《少女》という存在を挙げ、やがて消えゆく存在であるゆえに、それらの
美しさがひとの心をひきつけてやまないという。心とは不思議なものだと、花火を見るたびに
この言葉を思い出す。
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ヴァシュリ通信 [日々のキルト]

中断していた高橋茅香子さんのホームページ(ヴァシュリ通信)がカムバックしたとのお知らせ
があり、このところ毎日愉しみに拝見している。98文字日記もさりげない軽みがあって,盛夏に
涼しい小窓を開ける気分。あ、お元気なんだな…と思いつつ。
ちなみにヴァシュリとはグルジア語でリンゴの意味だそうです。
              

          
               ’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’


こちらのベランダには高気圧が毎日座りこんで、伸びをしていて、草花たちはしょげています。
鬼百合の花は楽屋に引っこみ、次はまっしろい山百合の出番みたいです。
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ロッテ・クラマーの詩 [詩作品]

詩人、英文学者、エッセイストである、木村淳子さんから送られてきた「ロッテ・クラマー詩選集」
(土曜美術出版販売)は忘れがたい訳詩集だった。まずロッテ・クラマーについて、木村さんの
あとがきから引用させていただく。

(ロッテ・クラマーは1923年にドイツのマインツで生まれた。代々この地に住む中産階
級のユダヤ人であった。1933年にヒットラーが政権をとると、ユダヤ人の生活がしだいに
圧迫されはじめ、1939年、ユダヤ人たちは児童救援船を仕立てて、約一万人の子どもた
ちをイングランドに送った。ロッテ(当時15歳だった)もその一人であり、それ以降、彼女は
両親に会うことはなかった。両親はポーランドに送られ、そこで命を絶たれたと考えられる。
彼女はその後イングランドに暮らし結婚し、詩を書くようになった。現在(2007年)までに
9冊の詩集がある。)

詩集にはナチの暴虐が落とした影、別れた肉親への屈折した思い、人間存在の根源に潜む
悲哀、同時にそれをいとおしむ気持ちがこめられているとも。

彼女の声は静かで、優しく、その表現はナイーブで繊細であり、親密さを感じずにいられない。
彼女は母国語であるドイツ語と、後から獲得した言語である英語との、バイリンガルである。
ドイツ語と英語、それは彼女によると「ひとつの方は…ほとんど詩のようなもの。もうひとつは
 まだ成就しない恋/触れてみたい温かい肩」…とバイリンガルという詩の中で書いている由。

以下は、木村淳子/ドロシー・デュフール共訳による詩集からの3篇です。


      テーブル・クロス

テーブル・クロス
白いリネンの目のあらい織物
いのちをなくしたもののように見える
糸はところどころ ゆるやかに裂ける
奈落に落ち込む夢から
覚めて
信じられずにいるときのような


この布もそのように擦り切れている
父方の祖母が 平和な時代に
織ったクロス
どんな辛抱づよい思いをこの織機で
彼女は織り込んだのか
ちいさな村のくらしぶり 大切な時間
彼女のかなしみを際立たせる


いま このもろい薄布にふれ 拡げ
そのうえに
私たちのワインとパンをのせる
布がゆっくりと命をなくしていくのを見ていると
かなしいのは それが裂けていくからではなくて
平和が壊れて 根無し草になる
その不安と恐れを感じるからなのだ


       
       赤十字の電報

赤十字の電報が
届いた
そこには恐怖 不安を秘めた
次のような文字があった
私は あえて知ろうとしなかったが
そこに隠されている残虐さを
今の私には理解できる
「引っ越さなければなりません
私たちの家はこの町から
なくなるのです
愛する子供よ さようなら」
どうして私にレクイエムなど
歌えるだろう
沈黙の暗い絶望のなかでー
あなたたちの受難 苦しみの釘と
ガスと墓とを美化して

       

         緑の喜び


初物の豌豆のさやをむく
緑の喜びー
先の部分を親指で静かに押す
すると莢は割れて
小さな緑の真珠が現れる
すばやく調理する 甘さと新鮮さ


毎年夏になると
私は それらがやさしくぽんと
口をあけてくれるのを楽しみにする
まだ若い莢から息が漏れ
鍋がたくさんの緑の約束で
満たされていくのを見る
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象と雅楽 [日々のキルト]

今朝テレビで、雅楽演奏家である東儀秀樹出演の「タイへの旅」を見た。タイは彼が幼い日にそこに住み、故郷のような場所なのだという。その地で憧れだった象使いの修行をしてみたいという。

タイの人々と象との関わりは親密で、地雷で傷ついたり、心を病んだりしている象たちも収容されていたが、その扱い方にも象使いのプロとして、また同じ生き物同士としての深い心配りを感じさせる
ものがあった。

どうにか受け持ちの一頭の象の扱いに慣れてきた彼は、一番大事なのは象に対する心の持ち方
なのだとわかったという。其の象に対する心からの愛なのだとしか思えない。象は賢く忍耐強い
動物らしい。

興味深かったのは彼が屋外の自然の中で「笙」を吹いたとき、一頭の象が遠くから近づいてきて、じっと耳を傾けたあとで、さらに近寄って、その楽器に鼻を絡めるしぐさを見せたことだった。笙の
音色は(あるいはある音楽は)象の気持ちを揺り動かす何かをひめているのだろうか。
象は超低周波音で会話するというが、それとのかかわりはあるのだろうか。

人間は自分たちのことにかまけすぎているうちに、周辺の未知の領域の不思議に想像力が
及ばなくなっているかも。
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エレファントム [日々のキルト]

何人かの仲間と「月夜の象」という連作童話をやっている。添付メールで回しているのだが、
これが結構おもしろい。紙芝居おじさんの来るのを待っているような気分だという人がいるが
ホントにそうだ。

ライアル・ワトソン著『エレファントムー象はなぜ遠い記憶を語るのかー』を読み返している。
象はとても神秘的だ。いまや滅びかけているアフリカ象のことをもっと知りたいと思う。
彼らは言葉の代わりに、低周波で仲間たちと絶えず交流しているという。もしかしたら時空
をこえて、その声は今もアフリカ大陸に響いているかもしれない。と、いうのはいかにもワトソン
的だ。「三日月の牙をもった月の獣」…である象は懐かしいのに遠い。

私たちの「月夜の象」はこれからどこへ行くのだろう。しばらく追いかけて行きたい。
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ネジバナその他 [日々のキルト]

今日は前田ちよ子さんの命日です。もう4年もたってしまいましたが。最近も彼女の不思議な夢を
見ました。見たというよりも彼女が夢の中に会いに来てくれた…という感じで、現実に会話を交わしたような、なまなましいリアリティがあり、目が覚めてから、しばらくして、あ、彼女はもういないのだ!
と気が付いて愕然としたくらいです。

今日は彼女の写真を目前に置いて、「星とスプーン」から”流星”を、「昆虫家族」から”たとえば”
を声に出して読みました。(聞いてくれたかな…)

          。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


さてバルコニーでは、にぎやかだったノカンゾウの季節も終わり、さびしくなった中に、
どこからかやってきた”ネジバナ”(モジズリ)が20本ばかりかわいいピンクの花を咲か
せています。これはラン科の花とのこと。

(みちのくの しのぶもじずり だれゆえに 乱れそめにし われならなくに)と詠われたのは、
この花でしょうか。(うろ覚えなので間違っていたらすみません…)

近づいてよく眺めると、らせん状にピンクの花が茎を取り巻いて上へ上へと昇りながら咲いて
いて、かわいくてとても風雅な花です。

                  。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

最近やっと写真をパソコンに入れることができ、このブログの大杉亭?のご亭主である利治
さんの指導で、たまにはアップできればと願っています。

もうシーズンオフなのですが、ノカンゾウの季節の写真も入れられるか、あとで試してみます。

nokanzou.jpg
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アゲハチョウの幼虫 その後 [日々のキルト]

5月30日に「アゲハチョウの幼虫」について書きましたが、その後の報告です。
あの数日あと、楽しみに覗きにいったら、青いのも、ちびくろも(数匹いたのですが)、
だれもいなくなっていました!
きっと蜂か鳥にでもやられたのでしょう。いくら眼を凝らしても、何の痕跡もありません。

幼虫が蝶にまで羽化するのは何パーセントにも満たないそうなので、仕方ないかも。
生きのこることは、まず運なのですね。
それ以来みどり豊かな木の空家?を、しばしば訪れては、目を皿にして眺めていますが
つぎの来訪者もなし…というわけでした。

バルコニーではノカンゾウの緋色の饗宴が約一か月続いて終わりを迎え、今はアジサ
イの紫が2鉢、雨にぬれています。そして日嘉まり子さんから届いた鬼百合のつぼみが
日ごとにふくらんでいます。これもずいぶん鉢が増えました。
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いつか別れの日のために(高階杞一詩集) [詩作品]

『いつか別れの日のために』(高階杞一詩集)が届いたのは、ちょうど蓼科への旅に出る直前だったので、鞄にいれてそのまま出かけた。短い旅だったが、その間ずっと読んでいたので、蓼科高原の緑の空気といっしょに、心に染み入ってしまった気がする。こういう詩の読み方ってなかなかできないし、タイミングも良かったのかもしれないが、それ以上に詩の力だったと思える。


  純朴の星                             高階杞一

宇宙の片隅に
とても純朴な星がありました
地球のように
そこには
海や川や草木があって
とうぜん 人間みたいな人もいましたが
地球と違って
人は寿命が一日ほどしかありません
朝 陽が出る頃に生まれた人は
翌朝 陽が出る前にはみんな死んでしまいます
久し振りだね
というのは
この星ではほんの数十分のことです
半日も会わないと
もう顔も忘れるほどになってしまいます
ですから
この星の人たちは
大切な人と出会ったら手をつなぎます
手をつないだまま仕事をし
手をつないだまま本を読み
手をつないだまま食事をします
そして
死ぬときにやっと手を放します
「ずっと手をつないでいてくれてありがとう」
それがこの星でのお別れの言葉です

夜中 外に出て
空を見上げていると
なつかしい声がひびいてきます
暗い空から
ズット手ヲツナイデイテクレテアリガトウ

ずっと手を
つないでいてあげられなかった僕に







   草の実 


散歩に行くと
犬は草の実をいっぱいつけて
帰ってきます
草むらを走り回るので
草の実は
遠い草むらから
我が家に来ます
こんにちは
とも言わず
我が家の庭で暮らします
春になり芽を出して
どんどん大きく育っていきます
庭はいろんな草でいっぱいになります
私と犬は草の中で暮らします
草の中で
ごはんを食べて
排泄をして
いつか
さようなら
とも言わず
私も犬も 順番に
ここから去って行くのです
どこか
遠いところへ
草の実をいっぱいつけて


”””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””

この詩集を読んだとき、とても哀しくなった。私にとって生きていることの哀しさ…みたいなものを
ひたすら感じてしまう…このような詩集に出会うのは、多分初めて?だろう。遠いところへ”草の実を
いっぱいつけて”去っていく。…ほんとだと思う。幼いころ草の実をいっぱいつけて家路についた
ことがあったっけと思い出す。もうその野原はどこにもない。

ところで浮世の草の実というものもありそう。年月とともにいっぱいそんな実もわが身にくっついて
いるかもしれない。せめてそれらが緑いろしたきれいな実だといいなあと思う。
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アゲハチョウの幼虫 [日々のキルト]

いま、バルコニーの隅のかんきつ類の木に、アゲハチョウの幼虫が4匹。多分ナミアゲハだと思うが
クロアゲハかもしれない。
2,3年前のキアゲハのイタリアンパセリでの飼育で、ほとんど壊滅状態の悲劇(一匹だけ羽化)にあった痛い経験がある。今回はただの観察者なので、気が楽だ。
二匹はまだ2センチほどの、黒い幼虫で、あとの二匹は3センチくらいで、きれいな緑色になっている。でも不敵な面構えをしている。かれらの生態を見ていると、日に焼けることも忘れ、あっという間に時間が経ってしまう。せめて一匹でも羽化してほしいもの。
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