SSブログ
日々のキルト ブログトップ
前の10件 | 次の10件

不思議な羅針盤 [日々のキルト]

詩友の佐藤真里子さんにお借りした梨木果歩の『不思議な羅針盤』という本は最近のヒットだった。ミセスに連載したエッセイをまとめたものとのことだ。著者の小説はよく読んでいたので、その文章のもつ肌合いや感触には慣れていたが、今度のエッセイで著者が日ごろ何を感じ、どんなことを想っているかが伝わってきて、共感できる部分がたくさんあった。

たとえば「スケールを小さくする」という章である。片山廣子の『燈火節』に触れて、(アイルランド文学の翻訳で有名だった彼女だが、その生きていた現実世界のスケールの小ささとそのことがどんなに世界に細かな陰影を落としていたか…外国に足を運び、生身の体に余計な情報を入れる必要などなかったのでは、と思われるほど一つの世界として彼女の内界に、例えば神話世界の「アイルランド」が確立しているのだ。…と述べている。生身の体での知見を広げるということと、想像世界の豊かさを耕すということは、必ずしも重ならないのだと私も思うことがある。

(グローバルに世界をまたに掛けて忙しく仕事している人たちの、大きくはあっても粗雑なスケールに)最近なんだか疲れてしまった、という著者は(距離を移動する、それだけで我知らず疲弊していく何かが必ずあるのだ。…世界で起こっていることに関心をもつことは大切だけれど、そこに等身大の痛みを共有するための想像力を涸らさないために、私たちは私たちの「スケールをもっと小さくする」必要があるのではないか…つまり世界を測る升目を小さくし、より細やかに世界をみつめる。片山廣子のアイルランドはその向こうにあったのだろう。)
と、書いている。

私もあまりに目先のことに忙しいとき、大きな留守をしている気になってくる。そんな時は周囲の流れに追い立てられ、自分も大きな忘れ物のつまった袋を背負って、やたら右往左往しているだけの一人なのかもしれない。ときどき意識して世界を測る小さな升目を取り戻したいと思う。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

命日 [日々のキルト]

 今日は7月3日。前田千代子さんの亡くなられた日です。三年前の今日はすぐそこにある。その2週間前に富山の病床を見舞い、交わした会話。その翌日金沢のホテルからかけた電話での「私は水野さんに励まされて詩を書いてきただけ…」という彼女の静かな口調を思う。そんなことではなかっただろうに。 もっともっと生前に彼女に会って話をきいておきたかった…という無限の思いばかりくりかえしよみがえる。

 その旅から帰ってきて、私はすぐ体調を崩し、10日ばかり入院してしまった。6月30日に退院して翌日、手紙をすぐ書いて投函したが彼女には読んでもらえなかったと思う。手紙は彼女のとこに7月2日に着いているにしても、彼女は同日の朝には倒れ、意識のないままに3日に亡くなったのだから。だから私の最後の手紙は今も彼女のあとを追いかけているだろう。空のどこかを。

3年前の日記を読むと、欄外に小さく、「閉じし翅 しずかにひらき 蝶死にき」 (梵) と書かれている。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

無言館 [日々のキルト]

先日、赤レンガ倉庫で戦没学生「祈りの絵」展を見たとき、前田美千雄さんという方の絵があり、ふとこれは亡き詩友前田千代子さんの身寄りの方の絵ではないかと気になった。
 
それで前田千代子さんのご主人にお葉書を出して伺ってみたところ、お返事が来て、それはやはり千代子さんの父上の御兄弟とのこと…つまり千代子さんの叔父様にあたる方だと分った。清楚な感じのスケッチが二枚、その折に購入した本に載っていてさびしい海辺の風景とフィリピン島のスケッチであった。千代子さんからはこの方のことは聞いていなかった。でも彼女の血筋にはやはりこういう方がいらしたのかと思いつつ、解説を読み直した。千代子さんが生まれたのは昭和23年だったから、彼女はその方が死去された後で生まれている。

千代子さんが他界されてもう3年。明々後日の7月3日は3回目のお命日だ。
時を経て展覧会で偶然こういう出会いをするのも不思議なことだった。

(前田美千雄 大正3年6月、神戸市垂水区に生まれる。昭和7年東京美術学校日本画科入学。…昭和19年再召集され、5月頃フィリピン、ルソン島マニラに上陸、20年8月5日頃戦死。享年31歳。)

(美千雄が戦地から妻・絹子に送った絵葉書は400通をこえた。…どれもが生きて帰るまで待っていてくれという愛の便りだった。しかしフィリピンに転戦後、その便りはぷっつりと途絶えた。絹子さんはその夫のくれた絵葉書を何度も何度も暗記するほど読んで暮らした…)以上『無言館』の解説より。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

森と芸術 [日々のキルト]

昨日、目黒の庭園美術館で「森と芸術」展を見てきた。

「芸術はどのように、森を描き、森を想い、森を懐かしみ、森をふたたび獲得
 しようとしてきたか。」
 
 このカタログには巌谷國士の解説が載り、人類の記憶に残る森の文化史が、
 作品とともに語られる。最初におかれているアンドレ・ボーシャンの愉しい森の
 風景に始まり、デューラー、コロー、クールベ、アンリ・ルソー、 ゴーギャン
 その他から、エルンストなどのシュルレアリスムまで、(なかにはギュスターヴ・
 ドレやアーサー・ラッカムなどの絵本やグリム、アンデルセンの挿絵も)並べら
 れていて、私はちょうど同人誌「二兎」で森についての作品や鼎談を発表したばか
 りなので興味が尽きなかった。
 見終わって、雨上がりの、まだ濡れた庭に出ると、美しい庭園のあちこちにチェスの
 駒のように 黒、白 の椅子やベンチだけが点々とおかれ(人影も少なく)、背の高
 い林に囲まれた緑一面の芝生が広々とひろがっていて、絵の中の森の余韻みたいに思
 えた。
 
 
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

真夜中の庭 その他 [日々のキルト]

今日は、最近読んだばかりの本の紹介です。

 数日前に朝日新聞の広告で『真夜中の庭』ー物語にひそむ建築ー(みすず書房)というのを発見した。その後偶然横浜ランドマークの本屋さんの棚にこの本をみつけてぱらぱら見ているうちに、どうしてもほしくなって買ってしまった!
 だがこれは収穫だった。さっそくその夜、読みだしたら、面白くて止まらないままに、あっという間に最後まで読み終えてしまった。
 取り上げられているのは「ナルニア国ものがたり」「ムギと王さま」「アッシャー家の崩壊」「木のぼり男爵」「ゲド戦記」「グリーン・ノウ物語」「クマのプーさん」、もちろん「トムは真夜中の庭で」「ムーミン童話全集」も!その他たくさんあるがここでは、略します。

 著者植田実さんは建築関係の仕事がメインの方らしく、一貫してこれらの物語を
建築空間というか、家というスペースとかかわる空間的認識の中で語っておられるので、そのせいもあってか、自分が何回も読んだはずの物語が、いまや異なる角度からの光をあてられた別の物語性をもって、生まれなおしたようで、(またまだ読んでいない本もいくつも取り上げられているので)新しい本の贈り物を再度手にしたわくわく気分をプレゼントされた。ファンタジーや童話、幻想小説などの好きな方には特にお勧めです。

 次に週刊ブックレビューの児玉清さんが遺された二冊の本。集英社文庫の「負けるのは美しく」と新潮文庫の「寝ても覚めても本の虫」。私は「負けるのは美しく」を読んだばかりだが、これはほんとにおもしろく、ページをめくるのももどかしく読み進めたといってもいいくらいだ。読書家の児玉さんの文章力にも初めて触れることができた。同時に彼の役者としてのあり方(それは彼の人となりをそれとなくうかがわせるもの)や、人生のさまざまのつらい経験、九死に一生の思いがけない経験などを、ユーモアあふれる文章で描いていて、彼のファンならばだれもがひきつけられるものと思います。(たとえファンならずとも…。)あと一冊の「寝ても覚めても本の虫」が残っているので、これも楽しみです。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

続き [日々のキルト]

 第三回小野市詩歌文学賞の続きです。この賞はもともと小野市出身の上田三四二氏の例年の短歌フォーラム(今年で22回目)から生まれた賞で、その年の短歌、俳句、詩の、それぞれの分野の成果に対して与えられるものとのことです。
 おかげさまで、私は思いがけず受賞の機会を得たのですが、会場では普段触れ合うことの少ない俳句や短歌の方々とも接する機会を得て、興味深く、愉しい経験を得ました。 詩を書く行為は常に孤独なものですが、このたびは受賞詩集に対する辻井喬氏からの講評をうかがい、ふいに外から差し込むまばゆい光を感じることができありがたく思いました。それは同時に詩を書くことの厳しさと、責任につながるものなのですが。

 小野市は偶然亡き母の故郷でもあり、気持の底にずっと何か表現しがたい不思議さを感じていました。キツネやタヌキなどに化かされた曽祖父の話や、ホタルの乱舞する
沼や池の話などを子どもの頃、母からきいていたその地で、市長さんから新しい市政のあり方をうかがったりしていると、また別の不思議さを感じるのでした。

 さて、ここではせっかくの詩歌文学賞の話なので、俳句、短歌部門の受賞の方のお作品を3つずつ挙げさせていただいて、報告の一部にさせていただければと思います。

 小池 光 「山鳩集」より

      山門を出で来し揚羽とすれちがひ入りゆく寺に夏はふかしも

      夕暮れに雨戸を鎖(さ)すはいつまでもさびしき仕事その音きこゆ

      古井戸に落ちたる象のこどもあり井戸をこはして引き上げられつ


八田木枯  「鏡騒」より
(はった・こがらし)

      桜守おほまがどきをたかぶりぬ

      七月や生きとし生けるものの数

      金魚死に幾日か過ぎさらに過ぎ
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

ご無沙汰 [日々のキルト]

気が付いたらまた2か月近くたっていました。自分のブログ無精にあきれながら、反省しています。習慣にすればいいのですが。

今日は近況報告です。このたび「ユニコーンの夜に」という詩集で、小野市詩歌文学賞という賞を受賞したため6月10日から13日まで神戸近くまで旅しておりました。小野市は神戸から車で50分くらいの市で、偶然ですが私の亡き母の生まれ故郷でもありました。のびのびと緑のひろがる豊かな風土を思わせる土地で、神戸から小野までの車の窓辺に早苗のみどりのみずみずしさも垣間見えて、久しぶりに気持ちが洗われました。この授賞式の経験についてはあらためて書かせていただこうと思います。
 受賞の後小野市の親戚のものに案内してもらい、明石海峡大橋を渡って、淡路島をドライブし、その夜は舞子のホテルに泊まり、13日に横濱に戻りました。

 家に戻るとこの一か月ばかり、バルコニー一面に咲いていたノカンゾウの最後の一輪が咲き終わるところでした。ノカンゾウとの一年のお別れです。来年もまた会えますように!
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

夢は旅(羽生槇子) [日々のキルト]

今日は羽生槇子さんの詩集『人は微笑する』から一篇を載せたいと思います。
この詩集はわかりやすい表現の下に人々のもつ普遍的な郷愁のようなもの、宇宙的な想像力、他者へのやさししい思いが感じられ、この日頃の鬱屈したおもいを解放してくれました。

       夢は旅   
                           羽生槇子
  
夢は旅

どこかの集会に来たのでしょうか

それぞれ荷物をまとめ始めているから

集会は終わりでしょうか

荷物を片づけながら だれからともなく

自分の大切な人が亡くなる時の話を始めます

一人 また一人

わたしは 一人ずつの話を聞くたび泣いてしまいます

悲しいこと

  

そこで目がさめます

さめてから

夢の中で話していたいた人の中にわたしの知人が二人いて

しかも二人共 現実に大切な人を亡くした人で

でも その人の姿も表情も覚えているのに

話の内容を何も覚えていないことに気がつきます

夢の中でだけ伝わる言葉 というのがあるでしょうか



金色の日々は早く過ぎ

わたしは ふと 時の流れの音が

滝の流れの音のように激しく聞こえた と思います


     ”””””””””””””””””””””””””””””

なおこの詩集のなかにはさまれた絵が二枚あって、すてきでした。              
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

『ユニコーンの夜に』 [日々のキルト]

二年越しであたためていた詩集『ユニコーンの夜に』が11月30日の日付で上梓さ

れ、昨日12月3日に手元に届きました。土曜美術出版販売の高木祐子さんには、

色校正その他で細やかなお手数をおかけしました。おかげさまでほとんど予定通り

の日程で出来上りほっとしました。表紙画の田代幸正さんのユニコーンに乗った

少年がこれからどこへ向かうのか、今は見送るばかりです。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

ショパンのラストコンサート [日々のキルト]

ショパン伝説のラストコンサートというのを聞きに行った。パリで1848年2月16日に行われたショパンのラスト演奏会を、作家の平野啓一郎が再現する歴史的なコンサートとのことだった。平野啓一郎は長編作「葬送」でショパンの生涯と芸術を描ききったといわれているが、昨日も舞台上でナビゲーターの役を引き受け、自作の朗読も行った。演奏は宮谷理香(ピアノ)、江口有香(バイオリン)、江口心一(チェロ)。私の好きな舟歌やプレリュードをきけたのは嬉しかったし、またチェロソナタがとても新鮮だった。

特に心に残ったのは、ショパンが生涯に4回しか演奏会を行わなかったこと、その理由は大勢の前での演奏会が嫌いだったこと、演奏をするとしたら数少ない親しい知己のひとびとだけを前にやりたい、というタイプだったこと。そしてショパンはこの演奏会の翌年に他界しているということ。

3時間に近いコンサートの帰り道で偶然出会った野毛の「OBSCUR」という店での食事とワインがおいしくて、ここではジャズをBGMにして、コンサートの意外な「あとがき」?を読んだ気がした。

オブスキュールとはフランス語で”暗がり”とか”おぼろげな”とか、あるいは(作品、言葉などが)難解、曖昧という意味もあり、店がその名を選んだのは、暗がりのなかに差す光を意図しているとか。煌々とした明るさでなく、オブスキュールである故に魅力があることも。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー
前の10件 | 次の10件 日々のキルト ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。