SSブログ
日々のキルト ブログトップ
前の10件 | 次の10件

「届かぬ声」は届く (折口信夫賞) [日々のキルト]

青森の佐藤真里子さんからのメールによれば、以前このブログにも載せさせていただいた

斎藤梢さんの、震災のことをうたわれた短歌集「届かぬ声」が、今回折口信夫賞を

受賞なさったそうです。波乱のうちに右往左往しつつ過ぎていく今年ですが、

「届かぬ声」は確実に、ある人々の胸に届いていたのですね。嬉しいお知らせでした。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

海の記憶(井上直展) [日々のキルト]

井上直さんの個展を見にASKへ久しぶりに出かけた。すばらしい展覧会だった。

現代を生きる私たちにとっての、海、空、宇宙、大地とは…。荒涼と寂寞が支配する大地

を流れる静謐な祈りの声。

3・11以前にすでに予見していたかのような、この光景に、言葉を失う。「海の記憶 A,B」

「V字鉄塔のある風景B,C」「処理工場のある夕暮れA,B」などすべて大作。

大谷省吾氏が解説文の冒頭に立原道造の詩を載せている。



      悲哀の中に 私は たたずんで

      ながめている いくつもの風景が

      しずかに みづからをほろぼすのを

      すべてを蔽ふ大きな陽ざしのなかに

     

      私は すでに孤独だ - 私の上に

      はるかに青い空があり 雲がながれる

      しかし おそらく すべての生は死んだ




     目のまへに 声もない この風景らは!

     そして 悲哀が ときどき大きくなり

     嗄れた鳥の声に つきあたる



この立原の詩が井上さんの作品と呼び合い、響きあい、世界というこの悲劇的な空間を

贖罪と敬虔な祈りで満たそうとしているようだった。


私は、ひと筆ひと筆を運びつづけた孤独な3年の時を思い、表現者として

の画家の覚悟に触れ直した気がした。井上さんほんとに、ありがとう。

この個展は17日まで京橋ASK画廊で開催中。ぜひ詩人の多くの方々にも見て

ほしいと思う。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

アイリッシュダンスとイルン・パイプ [日々のキルト]

アイリッシュダンスと音楽のグループ「ラグース」のショウを見に行ってきた。
エネルギッシュで華やかな女性たちのダンスは、もちろん最大の魅力だっ
たし、ヘイリー・グリフィスの澄みきったすばらしい歌声にも心ひかれた。
だが私は独特の味をもつ民族楽器イルン・パイプの音色にもっとも心惹
かれた。まるで気持ちを吸い込まれるような気がする。
寂しくて、なつかしくて、それはこの世の岸辺からあの世の岸辺へと、
深い懐かしさを込めて呼びかける声のようでもあり、またこの世での追憶
をひたすらに語る、あの世の住人の声のようでもあった。
私からいえば、それはこの世ではついに到達できないある場所への、けれど
詩や音楽や芸術が生まれてくる、母なる無意識への、深い郷愁みたいに、
寂寥感を漂わせている。アイルランドは妖精が住む国といわれるけど、その
文化のもつ不思議な魅力から心が離れない。

帰ってきて、以前から惹かれていたケルト音楽のCDを何枚か掘り出してきて、
アイリッシュティーを飲みながら、寒い午後のひと時を過ごしている。
我ながら、ミーハー的である…。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

アンリ・ル・シダネル展 [日々のキルト]

11月6日閉館という、軽井沢のメルシャン美術館まで、ル・シダネル展を滑り込みで見に行った。
11月5日だった。軽井沢は好きで、よく行くのだが、メルシャン美術館は初めてだった。軽井沢で、
しなの鉄道に乗り換え、御代田で降りて10分足らずだったが、7月から開催しているのに今まで
気が付かなかったのは残念。でも散る前の紅葉(黄葉)の木々や林が美しく、浅間山がくっきりと稜線を見せ、それは思いがけない一日の贈り物だった。

ル・シダネルは日本ではあまり知られてない画家かもしれないが、私は以前(もう20年以上も前?)ひろしま美術館で出会い、なぜか心惹かれて、いまでも彼の「離れ屋」という絵葉書を大事にしている。

アンリ・ル・シダネル(1862~1939)は20世紀の初頭に活躍したフランスの画家で、インド洋の
モーリシャス島生まれ。生涯を通して、さまざまの芸術運動を目撃しながらも、特定の流派に属すことなく、独自の画風を展開したと解説にある。

夜の森、月夜、夕暮れに家々の窓から漏れる灯など、その絵のもつ空気感は柔らかく幻想的
で、アンティミスムの画家といわれている。多く描かれた食卓の絵には常に人はいない。さっき
までの語らいを思わせる食卓、用意されているが誰もいない食卓。しんとして静かな霧の中の
風景、街なかの人気のない路。夢の中のようなその画面には、だが寂しさはなく、ふしぎな懐か
しさが感じられる。

薔薇の花が一面に絡んだ塀の奥の「離れ屋」の窓。そこから漏れる灯りは、切なさをともなう
想像力を誘う。今の時代の人々からは忘れ去られたような静謐な空間。でも彼が精魂こめて
花々で埋めたジェルブロワの石の屋敷は今も訪れる人々が絶えないという。好きな画を説明
することは難しい。その絵のもたらす何が私を引き付けるのだろう。ひとたびは経験し、いつか
忘れ果ててしまったものへの郷愁かもしれない。何かによばれる気がする。

プルーストは『失われた時を求めて』のなかに、この画家を登場させているとのことだ。今度
その部分を探してみたい。

ル・シダネル展は来年の4月ごろ、新宿で開かれるとのことだ。


見終わってから、紅葉の庭に出て、彼の「食卓」を想いながら、赤ワインとピザのランチを
楽しんだ。ひろしま美術館から、軽井沢のメルシャン美術館へ、ル・シダネルが不思議な
虹の橋をかけてくれた一日だった。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

ゴン太ごめんね、もう大丈夫だよ [日々のキルト]

『ゴン太ごめんね、もう大丈夫だよ』光文社刊
(福島第一原発半径20キロ圏内犬猫救出記)
を読んでいたたまれない気持ちになった。それほど胸の痛むつらい記録
でもあった。同時に生き物たちの素晴らしさも感じた。そしてこのボランティアの方
たちの行動…、今目前にある事実に向かって、心情を行動へ移す実行力に感じ入る。
帯に記されているその内容の一部を紹介しよう。

○野犬化した犬たちに襲われながらも、飼い主の言いつけ通りに家畜と家を守り
 つづけた犬
○瓦礫の下に埋められた主人に必死でほえ続け、命を救った犬
○原発の敷地内で座ったまま、死んでいた犬
○つながれて息絶えていた柴犬
○捕獲器の中で4匹の赤ちゃんを産んでいた母猫
○ビニール、軍手を食べて腹部が膨れ上がっていた犬
○水欲しさに側溝に入り、抜け出せなくなって死んだ牛たち etc.

現地での悲痛な経験、あるいは感動的な経験が、ボランティアの方たちの
淡々とした記述で次々書かれていて、参加者の一人のカメラマンの写真はその
裏付けとして胸を打つ。

ゴン太は、連れて行けずに避難した飼い主の最後の言葉を守ったのか、納屋
の隅に隠れておびえていた犬だった。彼は家の牛や鶏を守り続け、そのためか
野犬化した犬たちの群れに襲われて全身傷を負い、首半分はざっくり怪我して
生血をまだ流していた状態だった。でも危ういところでボランティアの方
たちに見つかり、病院に運ばれ、なんとか安楽死を免れて、治療を受け、回復へ
向かい、飼い主とも再会できたとか。この犬は、餌もなくなり、納屋の後ろに積ん
であったかんな屑だけをたべて生きながらえていたとか。

またある柴犬は飼い主以外は手を触れさせないらしく、エサも水もないまま
繋がれて死んでいた…とか。たくさんのけなげな犬たちがいる…。
また豚小屋ではしずかに寄り添って飲み水も餌もなく死んでいった豚たち
がいたらしく、私は賢治の作品を思いました。

この方たちは手を出せない犬などには餌のみあたえ、救い出せる
犬たちはケージに入れて救出し、病気のものは医者に預け、もと飼い主
を探したり、貼り紙で知らせたりして、その間無料で保護したうえ、一時預かり
ボランティアや里親ボランティアを今も探している。身銭を切っての仕事
なので、カンパももとめている。まだまだどれだけの生き物が見捨てられ
ているか、仕事はこれからまだまだ続くとのこと。

さいごに著者のことばを引用します。

『こんなに大変な時に犬猫じゃないだろう。遺体の捜索もまだできていないんだ』
こんな声も聞こえてくる。だが私は思うのだ。たった一つの小さな命さえ救え
ない者が、どうして人を守れるというのか。…犬猫の命さえ助けられない社会
が、どうやって人間の命を救えるというのだろうか。そんな疑問を禁じ得ない。

…今こそ、普遍的なテーマとして命を考え、この世に存在するすべての命を
尊重する社会を求めるべきではないだろうか。
それに改めて気付かせてくれたのは、他でもない、20キロ圏内で出会った
生き物たちである。

”””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””
この本の出版は 光文社(1,143円+税)です。少しでも多くの方に読んでほしい
と思います。私はボランティアに行けないので、せめてカンパに行きたいと思います。
本は一冊ですがお貸しすることはできます。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

届かぬ声(3) [日々のキルト]

斉藤 梢さんは72首の短歌につづいて、短いエッセイを載せて
おられます。その一部をも引用させていただきます。

”””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””

(震災後のテレビにうつる人たちの「がんばります」の声に、私はとても

切ない思いがした。言葉を選べないのだ。その苦しみ悲しみ痛み嘆き

を、表現する言葉が見つからない。)



(チェコの友人からメールが届いた。……東北人の精神の強さ、避難所

での食料の配布に並ぶ無言の正しい列に、日本人の心を知るという報道。

宮沢賢治ならばどうしただろうか、と私は津波ののちの泥の田圃を見なが

ら思う。……「ヒデリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアル

キ」と賢治の心に私はいま寄り添う。自然の摂理と闘いつつも、粘り強く

暮らしてきた人たちだからこそ、強くなれるのだろうか。)



(短歌には心や思いを伝える役割がある。思いを残すだけでなく、相手に

伝えたいと願うときに定型が言葉を受け止めてくれるはずだ。一行の歌が

心からの一言となればいいと思う。人間の心情のとても細やかなところ

までを言葉にする方法を知っていて、詠むということができる者がこれ

から担うことは何か。それは、短歌で何ができるかということとは違う。

芸術論や評価の対象にはならなくても、すぐれた作品かどうかというこ

とでもなく、とにかく心に依って詠みたいと思う。東北人として、宮城県人

として、私たちの暮らしているすぐそこで起きた災いだからこそ、被災地

の現実を被災者の本心を、言葉で残していかなければならない。涙の

かわりに。)


””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””

以上斉藤 梢さんの震災地からの発信、「届かぬ声」の一部を転載させていた
だきました。

あらためて 「斉藤 梢さん、ありがとう!」
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

ローズマリー [日々のキルト]

昨日、タクシーに乗った時、フロントの手前に一本挿してあるのは、どうやら
ローズマリーの一枝。
気になって、降りるときに、「それ、ローズマリーでは?」と訊いてみたら、
「そうなんですよ。これを置いとくと蚊が来ないんです!」とのこと。続けて
「窓のところなどに置いとくと蚊が入ってきませんよ」という。

ローズマリーは我が家にも何株かあるが、ほとんど使わない。そんな効用が
あるなら、使ってみようかなあと思いながら帰ってきた。で、半信半疑のまま
家にあるハーブの本をいろいろ調べたが、どれにも載ってはいなかった。

でも試してみる価値があるかも…。運転手さんからは時々教わることがあるし…。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

夜顔 [日々のキルト]

この間、”夕顔が咲きはじめた”といいましたが、わが家のは、夕顔ではなくて、夜顔でした。
先日、朝日新聞の天声人語にも,載っていましたが。日本ではよく夕顔と間違えるらしい
です。

夕顔なのになぜ夜おそくならないと咲かないのか?と不審に思って、ネットで調べました。
そうしたら、ほんとの夕顔の花はかんぴょうの花で、我が家のバルコニーのとは違いました。

最近涼しくなってきたら、夕方おそめに開花して翌朝の明け方まで咲いています。
夜顔はヒルガオ科の花(まぎらわしい!)で、夕顔のほうはウリ科の花だそうです。
源氏物語の夕顔はヒルガオ科?それともウリ科?
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

暑熱のなかへ逆戻り [日々のキルト]

2,3日涼しい高原にいて、昨日新幹線から東京駅に降り立ったら、まるで蒸し器のなかみたいで、心もからだもびっくり仰天。

赤倉ホテルは、後ろに妙高山を背負い、目の下、前方には野尻湖や斑尾山を一部とする連山がはるばると広がり、いつもマンションの窓から都会の一部を見下ろしている暮らしと大違い。雲海の中に沈んでいるような気分だった。だが、せいぜい三日の休日で、また暑熱のまんなかへ戻ってきてしまった。

でも、せっかくの高原のホテルの一室でどんな時間を過ごしたかというと、目前にせまった読書会
のテキスト、岡本太郎の『沖縄文化論』を読んだくらいだ。もっともこれはノルマというには、結構おもしろく、刺激的で、かつて夢中になって読んだ彼の著書などをまた読み直したくなっている。

そういうわけで書棚からひっぱり出してきた、彼の『自分の中に毒を持て』が机上においてある。この暑さに対抗するにはよほどの毒が必要かもしれない。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

木漏れ日の家で [日々のキルト]

映画「木漏れ日の家で」を見た。ポーランド映画。監督・脚本はドロタ・ケンジェジャフスカ。
以前岩波ホールで上演されたときに行きそびれたのを、近くのシネマ・ジャック・ベティでやっていたので見に行く。めずらしくモノクロ映画である。

ポーランド、ワルシャワ郊外の森のなかに、木漏れ日に一面のガラス窓が輝く古い木造の屋敷がある。91歳のアニェラは、ここで愛犬のフィラデルフィア(フィラ)と長く暮らしていた。淡々と老女と一匹の犬の暮らしが見つめられていて、ほとんどこれという事件も起こらない。その分見るものは彼女の内面に同化して、彼女とともに双眼鏡で森深い庭の出来事や、隣家の情景を眺め、そのすてきな共演者である犬のフィラの表情に一喜一憂する気分になる。犬のフィラはその演技で受賞したとのことだ。この共演ぶりが興味津々だ。
老いていく孤独な一人暮らしの中で、息子への期待を裏切られ、孫の言動に失望し、しかしその森の家での日々の暮らしを深く味わっているアニェラの表情はとても魅力的だ。それは彼女が生きてきた自分の時間へのゆるぎない信頼からくるものかもしれない。彼女は最後まで自らを閉ざすことなく、毅然と信念に従って生き、若い音楽仲間たちに自らと屋敷とを解放し、思い残すことなく世を去るのだが、そこには老いの閉ざされた暗さはなく、孤独をこえたふしぎな明るさがある。

ラストシーンでカメラがはじめてこの屋敷の上空へと、はるばる上昇し、大きな広い空の下の森に囲まれたこの古い屋敷を俯瞰図のなかにとらえるシーンは感動的だった。野の果てまで続く、あの白い花房をつけた樹木はなんだろうと思いながら、ポーランドの自然の豊さを想った。

アニェラを演じたダヌタ・シャフラルスカのすてきな微笑に引き付けられたが、この名女優は95歳になる今も舞台で現役をつづけているという。またこの女性監督ドロタ・ケンジェジャフスカの作品をぜひ見たいと思った。

作家の金原瑞人が書いている。「ろくに起伏がなく、じつに退屈で,じつに眠気を誘う映画…のはずなのに、じつに生き生きとしていて、じつに心に食い込んでくる映画だった。
なにより忘れられないのはファーストシーンだったかで、アニェラが屋敷の二階から外を眺めている姿を外から撮っている場面だ。四角く区切られている大きな窓のガラスを、カメラがしっかり撮っている.格子のひとつひとつにはめられている、気泡の混じったガラス、表面にでこぼこのあるガラス、皺のあるように見えるガラス……四角いガラス一枚一枚が個性と存在感を持って、迫ってくる。そう、この古々しい屋敷の窓ガラスはずいぶん昔につくられたものなのだ。おそらく半世紀以上、もしかしたら一世紀以上前のものかもしれない。……監督、撮影の力量というのはこういうところで推し量れるのだと思う。」

この映画はシネマジャック・ベティで8月5日までやっているそうです。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー
前の10件 | 次の10件 日々のキルト ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。