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廿楽順治詩集より [詩作品]

おもしろい詩を見つけました。
廿楽順治詩集『詩集人名』からの一篇を載せたいと思います。

              
             辰三(弟)    


そういえば辰三にはたしか弟がいた

蚊帳のなかで

あじの干物をつついているのをみた

うすい弟だから

みんなにはどうしても見えにくい

辰三のあとを

きいろい雨になって追いまわしていた

いつだったかおれも

遠足の帰りに降られたことがあるぜ

辰三が肺病でなくなったときだ

どこか南の方の外国へいっていたときいたが

いつ帰ってきたのか

弟は水の音になって酒屋の隅にいた

やっぱりまるまってあじの干物を食っていた

顔は暗くてみえない

辰三はいつも足のうすい弟をかばっていた

泣いて逃げて行くときの足音が

辰三そっくりであった

血はあらそえないな

あるとき

人を刺してあたりをどしゃ降りにした

それ以来

この町の夕日は

弟の足のようにうすくなってしまったのだ



      ”””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””

この詩集は全編いろんな人名のひとが出てきて、半ば妖怪的、どこか自然現象的でもあり、
あるいは超時間的存在ともいえ、それでも彼らは、どこにもいそうな俗っぽさが
身上の人物たちだと思えてくる。そういう彼らの百鬼夜行ぶりに親しみを感じる。
自然と物質と人間の姿が重なり合い、入れ替わり合い、新しいこの世の表情を示すのは、
巧みなこの表現技術に拠っている。
一作一作、おもしろがりながら(ユーモアのこわさ!)読んでいくうちに、人間も自然のもたらす
一種の気配なんだと気が付き、ちょっと肩の荷が下りる気持ちにもなる。傑作だと思う。
(各行の脚を揃えることが必要なのですが、もしずれてしまっていたら、すみません!)

  

             
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ジャム煮えよ [詩作品]

久し振りに自分のブログを開けて見たら、夏の間すっかりご無沙汰していることに気が付いた。
やっとお彼岸過ぎて少し涼しくなりかけていますが、今度は台風襲来。このところ家の中の本の
山にお手上げになり、仕方なく毎日段ボールの箱に詰めては、廊下に積み上げている。
しばらく整理に忙殺されそうだ。

                 ””””””””””””””””””””””””””””””””””

 今日は坂多瑩子さんの詩集『ジャム煮えよ』(港の人発行)から好きな詩を一篇載せたいと思う。
こんなのりで、私も日常の手仕事をこなせたら、一刻一刻の時の質が変わってくれそうな気がするし、そうしたら”あたしがあたしでなくなる…”ときが垣間見えてくるかもしれない。
まずおもしろくて、リズムがよくて、幻想的次元に感覚の広がっていく詩集だ。
作品はほとんどどこにもあるような日常的な暮らしの場面で展開する。でも油断はならない。
足元が霧で、いつの間にか迷子になってしまうのだから。


       ジャム                    坂多瑩子


         ジャムをつくろうと

         りんごの皮をむいて

         大きなボールに

         うすい塩水をつくったが

         間の抜けた

         海の味がして あたりは

         ぼおっと霧がふかいから

         四つ割にして まだちょっと大きいから

         三等分にして 皮をくるくる

         もひとつ もひとつと 

         笊いっぱい

         くるくるまるまって

         皮のないりんごって

         案外ぼやっとしてるから

         赤い耳たてた兎が

         弁当箱のすみっこにいるのは

         とても正しいことのように思えて

         それでも早くジャムにしなくては

         半日ほど陰干し

         砂糖をまぜて三時間

         夜になってしまった

         りんごがりんごでなくなるとき

         あたしがあたしでなくなるとき

         ジャム煮えよ   

                
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エミリ・ディキンスン [日々のキルト]

久し振りに、たこぶね読書会主催で、中上哲夫さんの詩のお話を聞く会があった。
今回はエミリ・ディキンスンの詩についてだった。遠くから初めて来てくださった方
も何人かあって、自由な雰囲気で話を交わすこともできて、愉しい会になった。
原詩に触れながらの解説だったので、ディキンスンの詩のおもしろさが深まった
気がする。彼女の詩は死後急速にアメリカ詩の重要な位置を占めていくことにな
るが生きている間は詩人としては不遇だったと思う。

ディキンスンの好きな詩を2篇載せてみたい。彼女の自然をうたう詩がとても好きだ。
(前にも引用したことがあるかもしれません。)



              草原をつくるには クローバーと蜜蜂がいる

              クローバーが一つ 蜜蜂が一匹

              そして夢もいるー

              もし蜜蜂がいないなら

              夢だけでもいい


          ””””””””””””””””””””””””””””””””””


              私は荒野を見たことがない

              海を見たこともない

              だがヒースがどんなに茂り

              波がどんなものかも知っている



              私は神様と話したことがない

              天国に行ったこともない

              だが私にはきっとその場所がわかる

              まるで切符をもらったように 


          ”””””””””””””””””””””””””””””””””””””””


以上は、『エミリ・ディキンスン詩集』(自然と愛と孤独と)中島 完訳 からの引用です。   

               

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貴婦人と一角獣展 [日々のキルト]

六本木の国立新美術館で、貴婦人と一角獣展を見た。
20年以上前にパリで初めて見たのだが、どうしても、もう一度見たいと思っていた。あのタピスリーの典雅なたたずまいと華やかな色彩(やや色あせた色彩が時の経過を優雅に感じさせ)、見ているだけで異界に引き込まれていくようだった。千花模様といわれる背面にちりばめられた植物や花々、そして多くの小さな動物たちの姿と表情が舞台をひときわ華やかに見せている。貴婦人の衣装や身振りも魅力的だが、一角獣の貴婦人を慕う姿態とまなざしに引き寄せられる。リルケのマルテの手記をもう一度読み返したくなる。

かつてパリを訪れる前に、秋山さと子さんに、それならぜひクリュニー美術館に行くといい…と
助言を受けたことを覚えている。その日右岸のホテルから、ひとりで左岸のクリュニー美術館へ出かけたまではよかったが、すごい方向音痴の私は帰り道に迷って、いつまでも夕暮れの左岸をぐるぐる回って心細い思いをした。

このタピスリーの印象が、どうやらその迷子の印象と一つになって、私のなかに刻まれているらしい。その後もう一度クリュニー美術館へ行っているのに、そのときは人と一緒で安心な旅だったせいか、このときのことより、その前の心細い左岸トリップの方が、忘れがたい。そして記憶も深いのだ。
ユニコーンと貴婦人が付き添ってくれていたのかもしれない…。

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サンペデロ [日々のキルト]

昨夜、サンペデロの花が咲いた。去年8月の夜に咲いた、あのサボテンの花。今年はまだ
6月なのに。昨夜7時ころからふくらみはじめ、9時ころにはほとんど満開(直径10センチ
くらい)の大きな花だった。

たった一夜の花なのに、それが雨の降る寒い夜で、不運な花だなあと思った。でも花は咲くときに
は咲く…と淡々と?咲いている。今朝5時ころに起きて急いで見に行ったら、もう知らん顔で
しぼんでいる。ああ、コウモリにでもなって、花弁のなかに忍び込んでみたらすてきだったのに。

でも一輪の花にどきどきするほどの高揚感をもらえるとは!そしてこの花が咲いていた間に見た
ゆうべの夢は不思議な夢だった。魔除けの力があるというサンペデロの花が夢の門口にも立っ
ていてくれたに違いない。

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あすの朝 [言葉のレンズ]

NHKBS3のクラシック倶楽部をときどき見る。

今朝はラチャ・アヴァネシヤンのバイオリンとリリー・マイスキー(父はミーシャ・マイスキー)
のピアノによる曲をいくつか聞いた。
 
そのなかでチャイコフスキーの「あすの朝」という曲が印象的だった。静かである分だけ、さま
ざまのイメージを呼び起こしていった。リリー・マイスキーが(父と何回も編曲を重ねた曲だった)
という。彼女も好きなのだ。

「あすの朝」はそれぞれの人の心の中にそれぞれのイメージで沈んでいるだろう。期待に満
ちた明日もあれば、無関心な明日もある。もはや出会えない明日の朝…もある。死者にとって
の明日とはなんだろう、残されたものにとっての明日とは?とふと思う。
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花の季節 [日々のキルト]

横濱平沼橋のイングリッシュガーデンの薔薇園を初めて見に行った。
写真をたくさん撮ったのだが、実物があまり素晴らしかったのでかえって載せる気にな
らなくて残念。写真の腕がないということだけですが。

視界にひろがる薔薇・薔薇・薔薇のパレードに、まぶしくて少し草臥れる。薔薇は濃密な
人工の花だから野の花のように心を解き放ってはくれない。

梅雨入りが早い今年、それでも我が家のバルコニーには、今、ノカンゾウのオレンジ色
の花が満開。5,60輪咲いている。ノカンゾウは一日だけの花。ワスレグサ(萱草)
というその名のように、あるがままに一日を咲き切って交代していく。

この季節だけのあかるい風景に浸りたくて、リビングの窓を開け放ち風を迎える。
もうじき百合の花が開きそう。
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信州の旅 [日々のキルト]

気が付いたら長いご無沙汰をしていました。
その間に、春が過ぎて、もう夏みたいな季節になりました。

4月上旬に兄が急に他界して、周りの風景が一変したような一か月を過ごしました。

数日前に、兄の愛した信州のホテルを訪ねてみました。白樺の林に囲まれた蓼科高原の
静かなホテルでした。兄が訪れるたびに泊まっていたという部屋に泊まり、遠くに、南アルプ
ス、美ヶ原、そして北アルプスの山なみをはるかに眺めて過ごしました。

死者はもう戻ることはないのですが、その記憶だけはあの林や湖にまた戻ってくるような
気がします。なんだか立原道造の世界みたい!ですけれど。
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井上直さんの画を見る

 茨城県近代美術館に、6日、《二年後、自然と芸術、レクイエム》展を見に行った。上野から常磐線のスーパーひたちに乗って、水戸まで1時間ちょっとだ。2年前の地震災害を受けた美術館であるが、今はきれいに改築され、静かで広々とした気持よい館だった。

井上直さんの作品は5点出ていて、(うち3点が新作) 日曜美術館(NHKのテレビ)でも、そのちょっと前に紹介されていた。 5点のうち3点は2012年の新作だった。はるかな時間(自然)のなかに立ちつくす人間の後姿のイメージは、深い哀しみのなかにも、永遠への祈りと憧れを秘めた沈黙を漂わせ、粛然とさせるものがあった。

 芸術的感動はなかなか言葉にはできない。が、言葉にならない励ましをもらった気がした。もちろん自分への反省とともに。激しく動くこの時代の中で、真摯に内面を見つめる目を持ち続けながら、精神を具象化していく…その行為は、とても困難なことだけれども、その行為が人々を支え、励ます力を持つのだろう。

 新作「千の種族A」「千の種族B」「夕暮れのレクイエム」、そして以前銀座の画廊に出品されていた「海の記憶」「V字鉄塔のある惑星」などの作品の前に、しばらく立ち尽くしていた。
 
 そのほかに大観の「生々流転」という40メートルの絵巻物や、小川芋銭、河口龍夫の鎮魂のためのいくつかの作品など、印象的だった。

 水戸の梅林もそろそろ蕾が開きかけていたが、美術館のレストランで軽いランチをとり、そのまままたスーパーひたちに乗って横濱に帰った。

 明日は3.11から二年目の日が来る。


 
 
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岡野絵里子『陽の仕事』 [詩作品]

しばらくご無沙汰しているうちに、もう大晦日になりました。
今年のさいごなので、好きだった詩集『陽の仕事』のなかからの一篇を載せたいと思います。


   光について                               岡野絵里子


眠りの中で人は傾く

昼の光を静かにこぼすため

鮮やかな光景を地に返すために



その日 私は沢山の光を抱いた

駐車場に並んだ無数の窓 その

一枚ずつに溜まった陽の蜜

無人の座席に張られた蜘蛛の糸を

渡って行ったきらめくビーズ

それから

聖堂の扉から 歩み出てきた花婿と花嫁



籠一杯の花びらを

私たちは投げ上げた

喜びと苦しみの果ての声のように



薔薇のように束ねられて

高価な写真におさまる人々

私たちはどこから来たのか

囁く過去の影の中から

夜毎の孤独な夢の中から



それでも



朝の最初の光と共に 人は

あふれるように歩いて行く


    ”””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””

新しい年を迎える前の夜に、あらためてこの詩を読み返す。ひとりひとり、どんな夢の
中を通り抜けていようとも、朝の光がさして来るたびに、あふれるように共に歩き出して
いけるといい…と思う。
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