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夜ひらくサボテンの花 [日々のキルト]

先日サボテンの花について書きましたが、少し観察が足りませんでした。
今日二つ目の花がさいたのですが、なんとひらきはじめたのは昨夜の9時ころ。
半月の下で、10時ころには、もう先端が2センチくらいひらいていました。
一晩中見ているわけにもいかなくて、今朝早起きして、4時過ぎに見に行ったら
すでに満開。この花は夜中に咲くんですね。でも花の盛りは短くて、朝の6時には
もうつぼみはじめて、7時にはほとんど閉じてしまいました。この間の花は、朝に
なって、気が付いたので、2時間の寿命かと思ったのですが…、実は夜通し咲い
ていたんですね。

ペルーの自然の中で、この丈高いサボテンの群れの花盛りをみたらすてきだろうな
と思いました。向こうでは魔除けに庭に植えるとか、食べると幻覚作用があるといわ
れるのも、なるほどという雰囲気です。「魔」は夜のうちに近づいてきそうなので。
以上、間違いの訂正です。
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葉月のうた 佐藤真里子 [詩作品]

                   葉月のうた
                                               佐藤真里子

    夏の野の茂みに咲ける姫百合の
    知らえぬ恋は苦しきものを
      万葉集(巻8・1500)大伴坂上娘女


   

    異界との境界が消える
    逢魔が時
    木陰に
    椅子とテーブルを出す
    微かな風が
    葉先をゆらす



    硝子の杯によく冷えた酒を満たし
    レタス、パプリカ、ラデッシュには
    オリーブ油と岩塩とバルサミコ酢を
    強く想えば願いは叶うもの
    飲んで
    もっと
    飲んでと
    
    

    影のわたしにもすすめ
    傾き濃さを増す陽の光が
    夏草をすり抜けて届く風が
    わたしをもゆらし
    「独りの酒はつまらないだろう」と
    とても遠くから耳元でつぶやく声




    草の海をかきわけてやって来る
    その声のひとと
    陽が沈む
    向こうへと
    泳いでゆこう




  ”””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””


この詩は佐藤真里子さんが、《今と昔のうた暦》という企画で、青森の新聞に連載しておられる
シリーズの1篇です。 昔の有名な和歌を枕にして、そこから現代の詩を立ち上げるという試み
を、今の紙上で読むと、何かまた未知の風が立ち初めたようで、興味深いものを感じました。
うたと詩の背景の空間が互いにこだましあって、異次元の詩的ざわめきを深めるようです。
食事や料理のシーンをとりあつかうとき、佐藤さんの腕がとりわけ冴え、その味付けが他の
追随を許さないことが多いのですが、この詩でも、逢魔が時の木陰の会食に、知らず知らず
まぎれこみ、酔いしれそうな自分を感じました。たのしくて、やがてかなしい、行方の知れぬ
飲み会のアラカルト。この企画の続きが待たれます。  

    
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サボテンの花 [日々のキルト]

CIMG0133.JPG
8月13日の朝に、突然柱サボテンの花が咲いた。買ってから10数年、ただ、どんどん伸びるだけ
の無用の?長物みたいで、ついに天井につかえてしまい、この春からルーフバルコニーに出しっぱなしにしておいた。(富士山と向かい合って)。それがかえってよかったのか、この10日ほど、つぼみみたいなのが7つものびてきて(ゴクリみたい!)どうなったのだろうと思っていたら、昨日の明け方突然に大きな花が一輪開いた。あまりに素晴らしい花なので、これにはびっくり!たくさんの白い花びらのまわりに、えんじ色の花びらの縁取り、花は直径10センチ以上ありそう。

ところが、ところが。2時間もしないうちに、急に花びらが閉じてきて、あっという間にしぼんでしまった。まったく夢まぼろしのごとくなり、という感じ。花の寿命は2時間足らず?

茎は2メートルくらいの高さ。本で見ると《セレウス・バルビアナス》通称サンペデロという南米原産
のサボテンに似ている。7つもつぼみがついたのに咲いたのはこの一輪、あとはみな落下してしまった。その気配もないところに、いきなり咲いて、瞬時に消えてしまう花というのは、なんて強烈なんだろう。ひとみたいに何か言葉をもっているような気がするのです。
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花火 [日々のキルト]

今日は神奈川新聞の花火大会だった。みなとみらいの空に盛大にひらく花火をベランダから
眺めた。花火には人の気持ちをわくわくさせるものがある。が、最後の花火が夜空に消えた瞬間の
寂しさも毎年変わらない。

前にも書いたけれど、ヘッセの『クヌルプ』の言葉がまたよみがえってくる。
(至高の美しさというものは、いつも、人がそれに触れたときに、歓びの感情のほかに、悲哀や
不安の念を抱かせるものだ)という。逆に言えば不安という裏打ちあってこそ、喜びも深く、強い
ということか。喜悦と不安、この二つの感情は引き離すことができない。ヘッセはこの美の
象徴として《花火》と《少女》という存在を挙げ、やがて消えゆく存在であるゆえに、それらの
美しさがひとの心をひきつけてやまないという。心とは不思議なものだと、花火を見るたびに
この言葉を思い出す。
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