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橋本征子詩集「破船」より [日々のキルト]

今日は橋本征子詩集「破船」から詩を一つ紹介したい。この詩集の詩はどれも魅力的なので一つを選ぶのは難しかった。

                   破船

           吹雪のやんだ朝 ずるっずるっと雪
           が軋る音がする 急いでカーテンを
           開けて見ると 雪の庭に一艘の破船
           が流れついていた 枯れ木に積もっ
           た雪が 時折風に吹かれて剥げた水
           色のペンキの舳先にかかり 光を取
           り戻した無数の星が いっせいに壊
           れた船板の上になだれこんでくる
           めぐりめぐって ようやく辿りついた
           記憶のかけらが散乱しはじめる

           
           初潮をみた頃 少女は爪が伸びるの
           が早くなって学校へ行けなくなった
            ブランコを漕げば 赤いサンダル
           の足の先から爪が空に届きそうに伸
           び 鉄棒に逆さにぶらさがれば白い
           セーターの手の先から爪が地に着き
           そうに伸び 少女は自分の命のみな
           ぎりあふれるようすに脅えて すで
           に眠りに着いた死者たちの隠れ家を
           探して歩くのだったが 決して見つ
           けることはできなかった 乳房が穫
           れたてのレモンのように張った夜は
            ことさら爪が伸びる そんな夜は
            少女は爪をしゃぶってふやかして
           から前歯で力一杯噛みちぎり 空の
           金魚鉢で燃やすのだった 薄桃色の
           爪がちりちり焦げて一瞬ぱあっと炎
           の花びらとなる ガラスの底に沈ん
           だ一条の黒い灰 火傷した時間の落
           下 つるりと剥きでた指の先にはか
           すかな海の匂いが漂い 胸の奥底に
           は行き先のわからない一艘の船が通
           りかかるのだった

           
           いったいいくつの夏が過ぎたのだろ
           うか わたしは人気のない廃れた漁
           港につながれた一艘の船を見続け
           ていた 波は船を滅ぼそうと企み
           月も星も船を沈めようと誓いあって
           はいたが 船はただゆったりと浮ん
           でいるだけだった だが どんな黙
           契が船を隠したのか わたしがみご
           もった明け方から 船はいなくなっ
           てしまったのだった


           吹雪の朝 わたしのところへ漂流し
           てきたあの破船 長い年月に帆は千
           切れ 竜骨もひび割れ 破船となっ
           て現れた一艘の船 この舟は 死を
           含んだ海の指が わたしのところへ
           押し流したものなのだろう 海の底
           の花咲く深い眠りの到着点へとー


(橋本さんのこの詩集を読むたび、その独自の身体感覚と、暗喩に満ちた宇宙性に引き込まれる。人は身体の内部にこんなにも不可解な宇宙を隠しているのだ。
またこの詩の2連を読むとき、私は村上昭夫の「動物哀歌」のなかの「爪を切る」という詩を思い出す。伸びる「爪」に人は生きることの原罪を感じることもあるのだと。)           

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