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最後の椅子 [日々のキルト]

                  コップのなか


              震える指でコップを包み
              なかみを、じっと、みつめているので
              どうしたの、水、飲まないの?
              シズノさんに声をかけた

               だって、こんなに透明で……あんまり、きれいなもんだから……

              そそぎたての秋のまみずに、天窓から陽が射して
              九十二歳の手のなかの
              コップのみなもが、きらり揺れる

              きょう、はじめて,水の姿と、向かいあった人のように
              シズノさんが、水へひらく瞳は
              いつも、あたらしい

              雲が湧いて、ひかりが消えた
              ふっと、震えが、止まっている

               それから、ほんとうに透きとおった静止が、コップのなかを
               ひんやりとみたす

              くちびるが、ふちに触れると
              ちいさい、やわらかい月が揺れて
              茎のような一本の
              喉を、ゆっくり、水が落ちる



前詩集『緑豆』で、その静謐さと透明な感性で、蒸留水を味わうような爽涼感を与え
てくれた齋藤恵美子さん。彼女の新しい詩集『最後の椅子』 から一篇を引用させて
いただいた。『緑豆』とはまた異なるスタンスで、老人ホームという現場から、ひとりずつ
名を持つ人たちとの関わりや、人の生きる姿を語るこの詩人の表現に対する腰の強さ
にあらためて感心する。

    

塩壷温泉 [日々のキルト]

中軽井沢から少し入った塩壷温泉の周囲は静かだった。猿やクマがしきりに出没するら
しく、窓には錠をおろせとか、夕暮れの散策には注意せよと書かれている。でも、あいに
くの雨でサルたちと出会うチャンスもなく、緑の木々に包まれた部屋で一日中「ペンギン
の憂鬱」を読みふける。物語は案外淡々と大きなドラマもなく進行するのに、退屈せず、
結構引き込まれて、さいごの意外な結末まで一気に読んでしまった。激流にもまれる一
枚の木の葉にも等しい個人の暮らし。だが、流れに運ばれる一枚の葉っぱにとって、
周辺の水は案外不動に澄んで見えるのかも。時代の中を運ばれていく個人の一日一日
の暮らしのように…などと現在の自分たちの日々に思いを馳せてしまう。
宿の露天風呂の近くでは、しきりにゴジュウカラ?みたいな鳥が飛び交って、ピンク色の
高原の残りの花が揺れていて、竜神の池の青い水面に雨粒の後が絶えない。
帰る日には雨も上がったので、長野県と群馬県の県境いの路をゆっくりドライブする。
真っ赤なツタウルシが緑の木に巻き付き、黄葉しかけた木々の間に朱色のウルシが
美しく映えている。ツタウルシが巻き付いた木は枯れてしまうので、以前は落葉松など
を守るためツタウルシを刈り取っていたが、今は手入れもせず放ってあるという。
というのも落葉松は、以前は貴重な材として、建物に使われたいたが、今は輸入の材に
頼って用いられなくなったからという。だから周辺の林は荒れてきているのだとか。

雨上がりの白糸の滝に寄ると、ひんやりと澄んだ空気はイオンで充たされているようだ。
浅間山から多くの地層を潜り抜けてきた生きた水が、目の前に無数の絹糸になって
流れ落ちている。

すすきと吾亦紅 [日々のキルト]

画を描いているNさんから突然届いた”すすきの穂とわれもこう”の風雅な一束…。
早速白い壷に活けて、部屋の一隅におく。室内はすっかり秋の野原の匂いだ。
背後からまるい月がのぼってくる…。
「音楽」と同じに「植物」も、いっきょに私をもうひとつの次元に連れていってくれるふしぎ。
お庭から、わざわざ秋の風情を送ってくれたNさんのこまやかな心遣いをしみじみ感じる。
おかげで、しばらくひとり秋の野原をさまよっていられそう。

ミヒャエル・ゾーヴァ [日々のキルト]

ゾーヴァの画と出合ったはじまりは、「クマの名前は日曜日」の,あの洗濯熊のカード一枚
からだった。なぜかひかれて「ミヒャエル・ゾーヴァの世界」を買ってしまった。不思議な
魅力がある。何事もない静かな一軒家と雲と林のたたずまい。(何かがこれから起こる
のか、それとも起こってしまった後なのか)。
窓辺に座るクマおじさんの背後にひしめいている不穏な動物たち…ペンギン?ネコ?
ブタ?カエル?それになぜかヒトの手が!
会食中のテーブルの背後でニヤニヤ笑いをしてるイヌの顔。
黒い三角巾で前足を吊ってこちらをひたとみつめているしろい猫…etc.。なぜだか川上
弘美のある作品を不意に思い出したりする。童話的でユーモアと毒があり、立ちのぼる
のはひそかな悪意。もちろんオブラートにつつんで飲みやすく調合してあるけれど。
だれかさんの足もとに、ちっちゃな亀裂が口をあけている。(だれかさんの後ろに蛇がい
る)という世界。そんな不気味な気配…とおかしさにつられて、つい頁をめくってしまう。
この家でも夜中のバスタブでブタが飛び込みの練習をしているらしい。あのポチャンと
いう音は…。そしていつの日かブタが一匹、朝食のスープ皿を泳いでいるにちがいない。

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