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前田ちよ子詩集「星とスプーン」より [詩作品]

前田ちよ子さんの詩集「星とスプーン」(1982)より2編載せます。

             氷河

        (ああ 迎えにきたのだね……)

     家の門の暗がり
     遠く(たぶん 遠く)
     四つの脚をしてやって来たおまえと
     私は家を出よう

     うなだれたふたつの耳と
     私は連れ立って
     街を抜け
     幾つもの山を越えたところ
     私達のはじまった
     あの茫々の草原の波の中に
     おまえと抱き合って沈む…

      覚えているよ
      おまえが犬といわれるものでなく
      私が人間(ひと)といわれるものでなく

      大気を浮遊していた
      おまえと私との生命源(プラナ)の邂逅の後の
      一粒のぶどうの種のような
      さみしい抱きあいの重み
      この草原の底に沈んで
      私達やたくさんの生命源(プラナ)達の
      静かに降らす夢で
      幾重にも幾重にも自分達の眠りを
      埋蔵していった……

      きしきしと
      夢の氷河の亀裂(クレバス)を
      きしきしと
      きしきしと
      私達の氷る耳の傍を
      目覚めたもの達の足音が
      渡って行ったね
      やがて
      私達も溶けるように目覚め
      すりへった地層の階段を上って行くと
      そこはまだ昨日の明けていない
      渦巻く草原だった

      私は草を焚き
      かげろう青い炎をはさんで
      おまえとゆらぎながら向かい合っていた
      その時
      おまえは一本の細い垂れた尾を持っていて
      私はわずかな文を書くことばを持っていた 

      ただ
      おまえも 私も
      溶けきらない灰色の眼をしていたのを
      互いに深く見つめ
      それから
      炎が落ち

      別れたね


     今も
     私のことばは
     拙い文しかつづれない
     おまえの細い尾は
     そうして垂れたまま
       (いったい何処の冷たく堅い土に
        自分を繋げていたのだろうか)
     変わらない灰色の眼のまま
     おまえは
     私の中の灰色を想って
     遠く(たぶん 遠く)
     出会いにやって来た

       ねえ 決して思うまい
       私達のこの土の上での
       骨と肉のはじまりに
       私達が眠りすぎたなんて
       遅すぎたなんてね

       草原の底深くからの
       私達の目覚めの時に
       溶けきれなかった灰色の部分
       それが私達そのものだったのだから


    
     うねる草原に
     重かった肉と骨をぬいだら
     私と おまえと
     ふるえる大気の中を
     別れて行こうね……
     今度こそ
     溶けない夢の降り積む
     眠りへの出合いのために




         
          たとえば


     君と別れ
     これから漂流する僕が
     いつか
     疲れはてて港に行き着くことがある
     気流の変わる
     日没の海を眺め
     寄せて引く波の振動を聴くうちに
     たとえば
     ふと 自分が以前
     あかね色の脚のかもめだったことを
     思い出すかもしれない

      
       僕はかもめだった

    
     僕はそこで人間(ひと)の形を解いて
     かもめになる
     それから
     翼を広げたあかね色の脚のかもめの中で
     僕はひたすら疲れながら
     飛んで生きるだろう
     かもめの以前(まえ)の僕を
     ふと 思い出すまで
     僕は
     僕の形を
     そうやってどこまでも遡り
     やがて僕が
     もっとも僕であったところまで行き着く

    
     君
     君も
     合わせた鏡の奥深くから
     一つ一つノブを回す度に
     変化した形を思い出して遡る
     そしていつか きっと
     最後の扉を開けてたたずむ君と
     僕は向き合う

     
     言葉や肉体で現せない
     あらゆるもの
     あらゆるもので
     不変の
     ただひとつのもの
     君 そして 僕

                  

                 *    *    *

   作品の中の( )は原文ではルビになっています。


             
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コメント 3

ひだまり

ああ、なんて深々とした世界がひろがっていくのでしょう......。
作品の紹介、ありがとうございます。

数年前に40代前半で亡くなった本好きのともだちがいて、
時折、彼女と遊んでいる夢を見ます。
他愛のないおしゃべりをして笑っている夢が多いのですが
目覚めたとき、ぼんやりしながら、あ、いるんだ、と、感じます。

前田さんの詩やエッセイは、『ペッパーランド』のとくに初期に
読ませていただいていた記憶があります。『ペッパーランド』を
最初に読ませていただいたのが「月夜の9人と1人」の特集で、
「天の川片道切符」や、「夢送り」などいろいろな試みをされていたこともたのしく印象に残っています。
by ひだまり (2008-07-08 14:50) 

ruri

ひだまりさま
コメントを感謝。天の川から、すぐ詩集「昆虫家族」のなかの”流星”という作品を思いました。さびしく胸を打たれる詩です。「昆虫家族」はお持ちですか。これから2,3回前田さんの作品を入れますので、またよんでくださいね。
                              ruri
by ruri (2008-07-08 15:00) 

くちなし

金子みすずもそうですが、若くして逝ってしまう人は、何か天から使わされた星の子という感じがしますね。前田さんも、この世の日常、雑事にまみれ、主婦や子育てなどそれなりの苦労はなさりながらも、最初の頃の透明で寂しい不思議な世界は変わらず持ち続けていらっしゃる事が驚きです。

『星とスプーン』は、宇宙や生命源(プラナ)、その根源的な寂しさを感じさせます。『昆虫家族』は、それを地上に(たとえば家族のような人間関係の中に)眺めようとしたのではないでしょうか。

いまはその星となって、前田さんは空で私たちを眺めているような気がします。
by くちなし (2008-07-13 14:28) 

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