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裏磐梯 [日々のキルト]

7月の末頃、裏磐梯へ短い旅をした。梅雨がまだ明けない頃だったが、幸い天気に恵まれて、爽やかな山の空気と磐梯山の壮大な風景を楽しむことができた。宿泊は猫魔ホテルという大きなホテルの南側の端の部屋だったので、(温泉やレストランが北側の端!)一日に何回も、ホテル内を(ここで言えば石川町の駅まで歩いたくらい)往復する羽目になった。(ちょっと大げさ?)

でも部屋の窓は緑一面の森に面したみたいで、都会暮らしの疲れをしばし忘れることができたし、春樹の「1973年のピンボール」を読み返すことができた。彼の文体の魅力についても見直した。

宿の前の桧原湖を船で二回往復して、磐梯山の大きくえぐられた山容が湖面に映るのを眺め、その湖面の深い青を心地よく眺めて、とてもいい気分だった。遠方に吾妻連峰。湖面にはカヌーをやる人々。森からホトトギスの鳴声。(ちなみに磐梯山とは天にかかる岩の梯子の意味だそうです)

だが桧原湖の歴史はすごい。この湖は120年前くらいの、1888年7月15日、磐梯山の噴火に伴う山体崩壊によりできた堰止湖で、噴火の際には500人以上の死者が出ているとのこと。その折に桧原村は湖底に沈み、地域社会は消滅した。そして現在も水位の変動により、集落のあった鎮守の森の鳥居や墓石が顔を出すことがあるという。そんな解説をききながら湖を観光すると、足の下がむずむずしてくる。この爽やかな静かな湖面の下には、何層もの見えない時間が沈んでいて、耳を澄ますと、噴火の際の村人の悲鳴が耳に響いてくるようだった。

台風、地震、洪水、そして戦争、原爆。一瞬のうちに時間の亀裂に呑み込まれていった人々はどんな消息をこの地上に残してくれるのか。、私たちは歴史の薄い表皮で、今、この一瞬を生きているにすぎない。だからいっそうそれはかけがえのない時でもあるけれど。

会津を旅するのは3回目だが、いつも何か懐かしいものを私に感じさせてくれる風土なのです。
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青リンゴ

裏磐梯の旅の思い出、いっしょに旅をした気分で読ませていただきました。会津には、一度だけ行ったことがあります。確かに、「私たちは歴史の薄い表皮で、今、この一瞬を生きているにすぎない。」と痛感させられる、過去を深く堆積している場所は、あちこちにありますね。青森県の日本海に面した、七里長浜という砂丘地帯で、約二万八千年前の針葉樹の埋没林を見ました。最終氷河期に水没し、根の水分により真空パックのような状態のまま腐らずに残り、いまの泥炭層のあちこちから突き出ています。そのちぎれた幹に触れたとき、心というよりは、身体にはるかなメッセージの電流が走った思いがしました。
by 青リンゴ (2007-08-06 14:15) 

ruri

青リンゴさんの詩の背後に広がる風土の匂いを感じます。自分という個の小ささとそれのもつ無限性を同時に感じてしまいます。二万八千年という時間と氷河期という冷ややかなイメージが、感覚的に身に染みます。
いろんな湖の成り立ちを知りたいと思います。
by ruri (2007-08-07 17:04) 

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