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ゴヤ展その他 [日々のキルト]

昨日は鎌倉へ出かけた。絹川早苗さんとペッパーランド31号の編集をすませ、その後八木幹夫さんも加わって、近代美術館別館へ、ゴヤの版画展を見に行った。初めて上野でゴヤの黒い絵(レプリカだが)と、この版画シリーズを見たときの衝撃は大きかった。その後京都まで版画展の追っかけをやり、それからさらに10数年たって、やっとプラド美術館まで到着して、本物の黒い絵(わが子を食うサテュロス・砂に埋もれる犬、など)を見たときの感動と畏怖は忘れられない。

昨日の版画展の「戦争の惨禍」はあの頃より、今見た方がいっそう現実味があって、「こんな写真があったら発禁ものかも」とつぶやいた。ここまで人間の残忍と悲惨を痛烈にえぐり出し、風刺したゴヤという人の生き方をもう一度見極めたくなる。この一月に徳島の「大塚美術館」へ行ったのも、一つの目的はゴヤの「黒い絵」を見たいからだった。そしてこれもまた見事なレプリカにしばらく立ち尽くしたのだった。けれども本音を言えば、その迫力を受け止めるには相当タフな体力が必要だとさえ感じた。そのくらい凄かった。

人間の内に潜む悪を、ここまでたじろがずに描ききったゴヤの精神の背後には、宗教的な支柱があるに違いない、そこにも日本的な精神風土からはうかがい知れないものがあるのだろう、などと思いながら、三人で八幡宮の大銀杏の下を抜け、小町通を散策して、駅近くの秋本という和風の店で懐石風の飲み会。おいしいお酒と、おいしい魚と、愉しい話の飲み会であった。ゴヤのことは話さなかった。そして詩の話をかなりした。
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kinu

ゴヤ展について。

油絵と日本画の違い、立体と平面といったら良いでしょうか、精神の在り方もそういう違いがあるのでは・・・と思ったりしました。版画は油絵とは違いますが、同じ版画でも、先日見た長谷川潔のは素晴らしかったものの、やはり平面的な日本画的な美であり、ゴヤへの感動とは違うような気がするのですが・・・。

これらは宗教とも絡んでいて、難しいですね。
by kinu (2006-03-25 13:38) 

八木幹夫

ゴヤの絵を見て藤井貞和論を思い付いたといったのはこのことなのです。彼は30年ほど前に白鯨という同人詩誌に「人間の持つ残虐性」について克明に書いている文章(初期の現代詩文庫に掲載)があって、戦争の根源にあるものを問い続けてきたのですが、あの別館で見たゴヤの「戦争の惨禍」はティム・オブライエン(アメリカの作家)がベトナム戦争で経験したことや今回のイラク戦争で捕虜になった人間に対するアメリカ兵の残虐行為やイギリス兵のそれと同じものです。藤井は日常性の中にある残虐性を見逃さないことが大切だともいっています。文学は遂にその人間の奥底にある悪にまで到達しなければ、意味を持ち得ないのではないかとも。ではまた。とても楽しい充実した時間を鎌倉で過ごせました。お酒もとっても美味しかったね、絹川さん!またやりましょう。
by 八木幹夫 (2006-03-26 21:43) 

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